月別アーカイブ: 2018年12月

教育の無償化について

 世界のみなさま、こんにちは。

ローラさんの発言について、「反日」「タレント生命を無くしたいのか」などと言われることに疑問を感じる沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 主義主張はそれぞれですけれども。

 さて、本日付のニュースで、幼児教育(三歳以上)と高等教育の無償化の方針が決まったと報道されています。

 これ、わたしは大反対です。ちなみに高校の無償化にも反対です。

 そもそも無償化には多額の税金(もしくは国債?)が投入されるわけです。ただでさえ火の車である国の財務状況において、また無償化かよと思いませんか。

 しかも幼児教育で無償化されるのは認可保育園や認定保育園だけという、本当に意味で全てが救われるわけではない無償化です。

 保育士の人手不足や低待遇が改善・解決されたわけでもないのに、受け入れだけを無償化してしまうのは、いかがなものでしょうか。

 以前にも書きましたが、教育を金儲けにしてしまっていることが大問題なのです。

義務教育である小学校・中学校が無償なのはわかります。しかし、高校以上の教育は

努力した人だけが進めるように、門戸を狭くすることも必要です。

 仮に三流の大学が100もあって定員が10万人あるより、一流以上の大学が10校あって定員が5000人のほうが、まだマシです。真剣に進学したい人は、その5000人の枠に入ろうとそれこそ死に物狂いで勉学に励むことでしょう。その5000人ならば、学費を無償化しても良いと思います。

 しかし、三流大学でも学費無料となれば、助けるのは進学したい人ではなく、三流大学そのものだということになってしまう。それで良いのでしょうか。

 子育てにお金がかかるようになって、少子化がどんどん進んできて、真っ先に定員不足になった三流大学を救うために、税金を投入する。それはとてもおかしい流れですね。

 高校以上の勉学は、努力したひとだけが進める道とするべきではないか。特に大学は。三流大学は不要。そこに進めないならば、就職を考える。

 幼児教育についてもそうです。

 市町村単位では公立の保育所がどんどん少なくなって、代わりに民間の保育所が進出してきています。彼らは民間企業ですから一定の利益を出さなければ存続できない。それがために保育料を安くできず、保育士の待遇を低く抑えるようなことをする。そこに無償化のための助成金を投じても、保育環境が良くなる保証はありませんし、保育士の待遇など改善される見込みもないでしょう。なぜなら、無償化となれば対象の保育園は保育料を受け取れなくなるからです。

 子どもは国の宝であり未来そのものです。

 保育所は公立で、保育士は小中高の教師と同じ立場、待遇とする。保育事業からは利益を出さなくても良いとする。

大事なことなので何度も言いますが、子どもは国の宝であり、未来そのものです。幼児教育の分野は公立を主として、国や地域、自治体が親御さんとともに育てていく。そういう国であってほしいと切に願います。

 最後に、私立学校の無償化に対しても私見を述べますが、もともと私立学校は経済的に余裕のある方々の子弟妹が通うものであったと認識しています。経済的に余裕のある方々にとって、私立の学費はそれほど大きな出費ではないでしょう。であれば、無償化する必要はありません。

 仮に、経済的な余裕がない方が、どのような理由であれ我が子を私立学校に通わせたいと考えたとしても、無償で通える公立ではない学校を選択したならば、自費負担は当然のことと言えます。

 蛇足ですが、私立学校に限らず、学業に優れた人を優遇するあるいはスポーツ推薦などの特待生制度については、わたしは大賛成です。

 部活動は教育の一環と言われておりますが、当然それも理解できます。教育の一環だからこそ、努力して結果を出している人が特待生とされるなら、それで良いではありませんか。

 「ビリになる生徒がかわいそうだから」などの理由で順位をつけない徒競走より、桃太郎が5人もいる学芸会より、1番を目指して頑張ろう、全員が1番になれるわけではないけど、と、正直に励ますほうが良いと考えます。

 まあ、考え方も主義主張も人それぞれ、なんですけどね。

 人は自分が努力して得たものには価値を感じますが、無料・タダ・ロハなものは価値を低く見てしまいがちです。学費も払わずに学校に行って、その価値を感じられるでしょうか。

 どうしてもそのように考えてしまうわたしは、努力・友情・勝利の少年ジャンプで育った世代です。笑

 じゃあ、努力して努力して、チョー頑張ったけどダメだったヤツはどうしたらいいんだよ。というご意見もありますね。

 それが人生じゃん。と、返事をしておきますか。

 その努力はムダじゃない。と、一見カッコよい表現にしておきますか。

 毎年、いったいどれほどの数の人がプロスポーツ選手を夢見て、夢破れていくでしょうか。高校野球ならば約4000校、約150,000人と発表されています(高野連公式)。プロ野球選手になれるのは、毎年100人に届きません。

 チョー頑張ったけどダメだった人のほうが、夢かなう人よりも何百倍も多いですよね。きっと。それでいいじゃないですか。そのくらいだからこそ、チョー頑張ってみる価値がある。夢ってそういうことじゃないですか。

 華やかと思われていても花咲かぬ人も多い芸能界で、夢をかなえてキラ星のように輝いているからスター。

 そのスターの発言だから良くも悪くも過剰なレスポンスが生まれるのかもしれませんね。

 わたくし喜良原も、そんなレスポンスを巻き起こせるようになりたいなあ。笑

 でも、無償化には反対です。

 11月から始まった「沖縄らぶびたんDays」、お付き合い有り難うございました。

 新しき年もどうぞよろしくお願いいたします。

 どこまでも言いたい放題、沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

 あでゅー。

島言葉(しまくとぅば)

 世界のみなさま、こんにちは。

久しぶりに雨の上がった空を見て、オキナワンブルーとつぶやいてしまった沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 地元の人は、オキナワンブルーなんて言わないんですよ。

 さてさて、今日の話題は島言葉。しまことば。沖縄方言のことをそう呼び、本島の方言では「しまくとぅば」と表します。小さい「う」は伸ばしません。

 これを宮古島では「島」は「ずま(地域によっては、すま)」、「言葉」は「口(くちと書いて、ふつ)」と表しますが、「ずまふつ」とは直訳せずに、「宮古口(みゃーくふつ)」と表します。

 八重山(石垣島)では「島言葉」を「島物言(すまむに)」と表すようですが、これは直訳じゃないかと考えております。わたしの(狭い)知人の範囲では、これという知見は得られておりません。

 で、島言葉。数年前から「島言葉を大切にしよう、継承、普及させよう」という運動が全県的に行われています。

 ところが。

 わたしたちのように方言を話せない世代から見ると、これは少し滑稽な話に映るのです。なぜなら沖縄では「日本復帰に向けた方言禁止の時代」があったから。なんですね。

 戦後アメリカの統治下に置かれた沖縄では、日本国への復帰に向けた運動が年々激化していきました。そのなかで、方言をやめ共通語を使っていこうという運動も始まり、方言で会話した生徒などは「方言札」をぶら下げられたりしていたわけですね。

 分かります。とても理解できます。

 主に軍人や軍属たちの事件・事故で悲惨な目に遭っているのに、それが地元住民には不利に裁かれる、あるいは裁かれもせず泣き寝入りするしかない状況下で、必死の思いで日本国への復帰を願い、運動した先達の思いや涙。理解できないはずがありません。

 しかし、いざ復帰して、そのあとに生まれて、方言を話せず(実際にはわたしは片言レベルですが)に育った世代を目の前にして「今の若者は方言も話せない」などと嘆くオジイが居たりするわけですよ。ため息をつかれたりするわけです。

 一度ならずそのようなことを言われたら、こちらも言い返したくなるじゃないですか。「自分たちで方言を禁止しておいて」と。

 そもそも沖縄県民にありがちな「他人(内地)の芝は青い」かつ「自分ちの芝(文化や芸能、特産物など)はダメダメ」的な考えは、この時代に生成されたものじゃないかとわたしは考えております。

 地元のものもそれなりに良いものだ、と、なぜ自信をもって叫ばないのか。というような先輩たちへのいら立ちも込めて、ですね、「自分たちで方言を禁止しておいて」となるわけですよ。

 わたしの拙い方言は、いやはや中学生レベルの英語のほうがまだマシと思えるほどで、折に触れて憶えよう憶えようと努めてはおりますが、方言ペラペラの世代と会話するのと、外国にひとりで行くのと、どちらが気楽かという話です。

正直、外国のほうがまだ気楽ですね。もう、言葉が通じない前提で突撃できますから。

 とはいえ、この島の歴史を理解するほどに、先達の切ない思いや嘆きや願い、そして言葉では言い表せないほどの怒りを否定することはできません。自分たちの言葉を失ってでも、当時の状況を変えたかった。それくらい、悲惨な状況だった。

 そういうことなのだと、今は思えます。

 言葉は自分たちのアイデンティティを支える重要な柱ですし、もちろん沖縄に限らずその地域地域の「おくにことば」は味わい深いものがあります。大切にしていきたい気持ちはわたしにもあります。

 それを捨ててでも現状を変えたいと思わせるほどの、状況。あなたは想像できますか。

 わたしは日本語が島言葉と同じくらい大好きです。とても美しく、繊細で、豊かだと思います。捨てたくはありませんよね。ほんとうに。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

 あでゅー。

ミヤコブルーとミヤビリー

 世界のみなさま、こんにちは。

少なくとも年内は体重計に乗らないと決めたことで、今朝もケーキを食べてしまった、沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 年明けに健康診断を予定していたことを思い出しました。

 昨日はクリスマス。株価の暴落で「クルシミマス」なるコメントが続出していましたが、何もニュース番組のVTRまで「クルシミマス」しなくても良いのではありませんか。

 上手いこと言ってやったぜ!的なおじさまのドヤ顔が、気持ち悪いじゃありませんか。それこそクルシマス(沖縄方言でやっつけるの意)よ。

 いよいよ2018年もあと1週間を切りました。来週の火曜日は元旦ですから、ほんとうに年の瀬ですね。

 わが沖縄県では、年末年始の航空各社の予約状況が、3年ぶりに前年割れしているそうです。つまり、年越しを沖縄で過ごしてくださる人が減ったということですね。

 各社の見解では「1月4日金曜日を休みにすれば9連休が作れるため、長期休暇で海外旅行にシフトしたのでは」ということで、実際に海外便の予約状況は好調であるようです。

 なるほど、沖縄のライバルは海外なのですね。いえいえ、分かっていたことですけれど。

 ところで、宮古島の人は、宮古島の海の蒼さを「ミヤコブルー」と表現します。他称か自称か、その起源は分かりませんが、市の観光協会や観光PR系の広告でも使用しているので、現時点では自称となっています。

 ミヤコブルー。伊良部島ではイラブルーなのでしょうか(〃▽〃)。 んなわけーねーでしょうね。

 ミヤコブルーで思い出しましたが、宮古島の人が演奏するロカビリーを、当地では「ミヤビリー」と呼んでいます。

これ、わたしもびっくりしましたが、ロカビリーをこよなく愛して演奏する若い世代の人たちが自分たちの音楽を自称したものが広まっています。

 1970年代頃からの歴史があるという説もありますが、わたしが知ったのは2000年代に入ってからで、仕事でカメラを構えているわたしたちの前に現れた、いかにもロカビリーという風体で(しかも真昼間に!)闊歩している集団に、「俺らミヤビリー軍団っす」と名乗られたときは、どれだけ面食らったことか、想像つくでしょうか。

 どうにかフレームインしたかった様子でしたが、ごめんなさい、仕事内容にそぐわないものでしたので、さり気なく何気なくフェードアウトさせてもらいました。

 これが宮古島の音楽とか文化などを取り上げるような仕事であれば、フレームインどころかフォーカスするひとつに挙げていたところでした。間違いなく。

 宮古島気質というのでしょうか、訪ねてきた人に手を差し出してウェルカムと言う気さくな一面とは対照的に、実に誇り高く、また気性の荒い(粗い)部分もあり、どこへ行っても物おじせずに「日本人であり、沖縄県民であるが、その前に宮古島の人間である」と背筋を伸ばす姿は、美しいとも思えます。

 ちなみに……宮古島の方言では宮古島出身者を「みやくひとぅ」と呼び、沖縄本島へ出かけることを「沖縄へ行く」と表現します。

 沖縄本島は沖縄、宮古島は宮古島、八重山は八重山、言葉も違えば気性も違う。それぞれが離れた場所ですからね。考えたら沖縄本島-宮古島の約320kmは、東京-名古屋の直線距離に匹敵します。それは気性も言葉も違っていて当たり前と言えます。

 年の瀬の航空各社、予約状況が前年割れしているのであれば、まだ余裕があるかもしれません。ぜひ、新年は沖縄で。あるいは宮古島で。または八重山で。

 心からお待ちしております。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

 あでゅー。

沖縄の経営者を考察する(続)

 世界のみなさま、こんにちは。

 12月19日は忘年会、21日も忘年会、22日も忘年会、23日のクリスマスイブイブも忘年会、昨夜はクリスマスイブでケーキを食べ、今朝も朝食にケーキを食べ、少なくとも年内は体重計に乗らないことを決めている、沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 もう1件予定されている忘年会や、年明けの多くの新年会のことは忘れてしまいたいところです。

 さて、クリスマスに即した話題なのか分かりませんが、沖縄の経営者を考察する続きを述べさせていただきます。前段は前回記事をご参照ください。

 第1世代、第2世代に続き、第3世代の経営者です。

1970年代~80年代前半生まれで現在30代中盤~40代後半、第2次ベビーブームを含むために世代人口が多く、自己主張しなければ分け前も存在感も得られないため、「なんでも競争」的な価値観をもち、全員が好戦的なわけではありませんが、いざとなれば腹を決めて戦う性格です。ファミリーコンピュータの第1世代であり、ITに食らいつけるか否かの分水嶺的な世代です。

 しかも、バブルののちの就職氷河期に直面し、いわゆるモーレツな体育会系以外の価値観が確立された最初の世代でもあるため、年齢や立場の上下に関係なく、これという理由があれば上司上役に噛みつくことも辞さないという面倒な一面もあります。

 沖縄では歴史ある企業の四代目以降を担っているほか、多くの起業家が存在しています。ただ、全体的な視点から申しますと中心となるのはこれから、というポジションかと思われます。

 さらには80年代後半以降生まれでの第4世代もちらほらと出てきています。20代の経営者です。若いころから携帯電話を持っている、小学校教育からPCや英語が科目として存在するため、ITに関する知識は一定レベルで持っています。というより、その辺りの分野で独立している経営者がほとんどかと思われます。

 繰り返しになりますが、沖縄では「島嶼エリア」「戦後の焼け野原」「異国の統治下」という特殊な状況下に置かれたため、ある意味本当に「東洋のガラパゴス」のように隔離された環境で、経済がいびつな成長をしてきた経緯があります。

 現在、多くの企業経営者の主流を占めているのは、戦後第1世代ではなくバブル時代の恩恵を全身に浴びてきた第2世代です。

 高度情報化社会という古い言葉よりIT社会のほうが受けが良いのでしょうが、このIT社会に、この人手不足で売り手市場の人材市場に、このグローバル化が進んだ社会に企業のリーダーとして立ち向かう、この第2世代の多くの方々には、「走れば数字がついてきたバブル時代の現場経験値」と「現場に叩き込めば社員教育は完了すると考える旧弊的な人材教育観」と、「上司だから偉いと思い、社長だから尊敬してしまう盲目的な価値観」と、「いまだに人差し指でキーボードを叩き、エクセルの計算式に戸惑う程度のITレベル」が備わっております。

 沖縄という市場においては、まだインターネットがなかった頃、もしくはインターネットが普及し始めたころの市場観しかもっていないため、実にアナログな視点から物事を見てしまう、そしてそれが通用していると勘違いしている経営者が少なくありません。

 いえ、勘違いではなく、今まではギリギリどうにかなってきたという状況はあります。ただ、それは新聞と同じで、世代が変わってしまえば消えてしまう風前の灯火。

 インターネットの普及、IT化が何をもたらしたか。情報の即時化。情報の即時化が沖縄(あるいはこれまで情報が遅れて届いていた地方)に何をもたらしているか。それは恐ろしいスピードで消費者の意識が中央と同等か、それに近いものに変質しているということ。

 つまり、県民性がどうとかいう話は次第に(そして若い世代ほど)通用しなくなってきている、むしろ(特に若い世代ほど)東京も沖縄も北海道も同じようなレスポンスになってきているという事実。

 これを、第2世代の経営者の多くは、認めません。それは自分たちの経験値の外側にあることなので、認められないというか見えないというか、理解できない部分なのです。

 ここから沖縄は、多くの企業が変わっていくでしょう。変わらざるを得ません。なにせ目の前には未経験のIT社会、未曽有の大変化です。

少し前の流行り言葉で、しかも沖縄の第2世代の経営者の間で未だに流行っているダーウィンの言葉を使うなら、「賢いものが生き残るのではない、変化に対応したものが生き残るのだ」という状況です。

 ここから沖縄では、多くの地元資本企業が倒れていくか、合併していくか、本土資本に吸収されていくでしょう。仕方ありません。ダーウィンの言葉に従えば、変化のできない種は姿を消していくしかありません。

 前回も述べましたが、沖縄を支えている第2世代の経営者たちは、仕事のできる人、仕事のできない人、その両極端ですから、未曽有の大変化に対応しきって大きくなれる企業、対応しきれずに姿を消していく企業、ふたつにひとつということになるでしょう。

 もともと起業率が高く、廃業率も高い沖縄のことですから、いずれ時代を経て「なんくるないさ」の精神で復活!なんてこともあるかもしれませんけれども。

 沖縄には大転換の時代が迫っている。わたくし喜良原は、そのように見ています。全くのカンだけなのですが。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

 あでゅー。

沖縄の経営者を考察する。

 世界のみなさま、こんにちは。

 今日の気温が26度を超え、「冬至なのになぁ」とため息をつく沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 ちなみに沖縄の方言では冬至を「とぅんじー」と読みます。

 さて、第40回目の今日は「沖縄の経営者」について考察を少々。

 沖縄県の統計のよると、狭い沖縄にも20000件を超える法人が存在していて、そのうち約60%が赤字申告をしています。つまり単年赤字ということですね。

 以前にも述べたかもしれませんが、沖縄県は周りを完全に海に囲まれた島嶼県という環境のせいだと思いますが、完全な地元資本の法人の割合が他県より高く、また本土資本の「沖縄現地法人(子会社)」も数多く存在しています。

 これは沖縄県に籍を置く企業として、法人が納めるべきいくつかの税を沖縄県に納税しているということを示します。沖縄県からの要請でもあるでしょうし、企業側の沖縄に対する配慮から始まったものかもしれません。

 わたしが今回述べるのは20000超の経営者のうち、地元資本の法人の経営者について、ということになります。

 これも以前に述べたことですが、海に囲まれた島嶼県であるため、また戦後27年間、アメリカの統治下にあったこともあるでしょう、地元資本の経営者たちの多くは「沖縄県だけのマーケット」を見つめて、そこの経営基盤に発展してきました。

 そしてまた戦後の人口増加とともに沖縄にも高度成長期は存在していたのです。社会の必要に迫られて、多くの企業が創業され、発展してきました。いま、沖縄県内の地元資本で上位を占める企業のほとんどは、1940年代後半~70年代前半に創業した会社で、創業50年~70年に差しかかっています。

 これらは、実は沖縄の経営者を語る上ではとても大切なことなのですが、その視点で語られることは(わたしの狭い知見では)あまり見られません。なぜなら、本土ではあまり見られない、もしかしたら世界で沖縄だけの特徴だから、なのですね。

 沖縄の経営者にはいくつかの世代があります。

 まず戦後第1世代。戦前1920年代~30年代生まれで、厳しい戦争を生き残り、先ほど述べた1940年代後半~70年代に創業した会社の創業者、またはその会社の二代目、三代目となった方々です。そのメンタリティは「まず沖縄復興」にあり、目的意識が明快で非常にタフで粘り強く、目標達成のためには形にこだわらない、清濁併せ呑む懐の深さがあります。戦争で生き残れたことが僥倖、死ぬことを思えば何ほどのこともない。

 わたしはラッキーなことにその世代の方と最後に会話できた世代で、半ば根性論になってしまう御仁たちの話のバックボーンがやはり戦争にあること、何より「死を思うとき」という考え方に感銘を受けました。実際、御仁たちはそれぞれに個性をもちつつも、度量のある大人物が多かったと記憶しています。

 その世代の方々もお亡くなりになるか、ご存命でもすでに90歳を超えています。実際の企業経営に携わる人もほとんどいなくなってしまいました。

 次に戦後第2世代。終戦直後~1950年代生まれで、先の第1世代の薫陶を受けながら育ち、主に80年代に創業または第1世代の会社のおおむね三代目以降を担われている方々です。この世代の方々が2010年代から現在の沖縄の経営者層の中心でもあります。

 戦後の高度成長期、またアメリカ統治下という特殊な時代に育ち、80年代のバブルの影響を享受したこともあり、華やかさを持ち非常に楽天的、また動けば発展するという時期でもあったため、勢いに乗ればどこまでも吹き上がれますが、いざ苦境になると対処法を持っていない人も見られます。

 また、この世代は「仕事のできる人・できない人」が両極端に分かれていることも大きな特徴ではないでしょうか。

 つまり現在の沖縄には、仕事のできる経営者と、仕事ができない経営者、両極端の経営者が多く存在しているということです。

 話が長くなってきましたので、続きます。

 ちょっと丁寧に考察したいと思います。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

 あでゅー。