辺野古に面子も勝敗も要らない

 どどすこすこすこ どどすこすこすこ どどすこすこすこ 土砂投入♪(再掲詫)

 世界のみなさま、おはようございます。。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 沖縄本島北部の辺野古では、明日2018年12月14日から、国が新基地建設工事の土砂投入を始める予定です。

これまでせっせせっせと作っていた護岸(埋め立て予定部分の囲い)のなかに土砂を入れ始めたら、その部分を「海」の状態に戻すことはできないでしょう。

辺野古ではない、わたしの住んでいる場所の近くで似たような工事をやっていた時期があるのですが、海水の循環がなくなるためでしょう、囲われた海はゆっくりとその色を変えていき、次第に池から沼のように濁っていって、やがて腐ったような臭気を放ち始めました。

 なぜ、わたしの見ていた工事現場が、その海を囲ったまま放置していたのかは分かりませんし、工程の段階のひとつだったのかもしれないのですが、海が死んでいく様子を見るのは、とても悲しくイヤな気持ちでした。

 辺野古に土砂投入が始まれば、投入された部分の海は完全に死にます。同じ状態に戻すのは不可能でしょう。

 引き返すなら、まだダメージの少ない「今」。

 ほんとうにそう思います。

 引き返せない? 引き返さない? そこにあるのは面子ですか。それとも勝敗ですか。

 正直、県内においてもこの「勝つか負けるか」のような話が出てくると、わたしは苛立ってしまいます。辺野古の話は勝つか負けるかの話ではない。作るか作らないか、という話なのです。

 県民投票は勝つか負けるかではない。賛成か反対か、という話。どちらかが勝つのではない、ただ県民の総意として賛成か反対かを意思表示するだけのこと。結果はほぼ間違いなく……というところですが。

 政府には沖縄県民の願い(おそらく建設反対となるでしょう)を聞き入れてもらいたい。聞き入れてもらったとしても、それは沖縄県民の勝利ではない。政府と沖縄県(および県民)の交渉の結果、そういうことに決まったよ、というだけの話なんです。

 大事なのは面子ですか? 勝敗ですか? そんなことはありません。大事なのは国民の利益、県民の利益であって、面子でも勝敗でもない。

 頭を押さえつけられたら跳ね上げたくなるのが人間の道理です。沖縄はいま、押さえつけられた頭を跳ね上げようとしている。でも、跳ね上げたところで勝った負けたと言って何になるのでしょうか。

 面子でも勝敗でもなく、ただ建設するかしないか。

 土砂を投入してしまえば、そこの海は死んでしまう。

その瀬戸際で、那覇空港第2滑走路の工事(同じく埋め立て)と何が違うのかと聞かれれば、戦争の道具を作るか作らないかの違いだと答えます。普天間の危険性除去はと問われれば、ならば即刻閉鎖すべきと答えます(あるいはほかに方策もありますが、それはまた次の機会に)。

 土砂を投入してしまえば、その部分は元に戻せません。

 今日明日が、その瀬戸際です。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

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