沖縄の経営者を考察する。

 世界のみなさま、こんにちは。

 今日の気温が26度を超え、「冬至なのになぁ」とため息をつく沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 ちなみに沖縄の方言では冬至を「とぅんじー」と読みます。

 さて、第40回目の今日は「沖縄の経営者」について考察を少々。

 沖縄県の統計のよると、狭い沖縄にも20000件を超える法人が存在していて、そのうち約60%が赤字申告をしています。つまり単年赤字ということですね。

 以前にも述べたかもしれませんが、沖縄県は周りを完全に海に囲まれた島嶼県という環境のせいだと思いますが、完全な地元資本の法人の割合が他県より高く、また本土資本の「沖縄現地法人(子会社)」も数多く存在しています。

 これは沖縄県に籍を置く企業として、法人が納めるべきいくつかの税を沖縄県に納税しているということを示します。沖縄県からの要請でもあるでしょうし、企業側の沖縄に対する配慮から始まったものかもしれません。

 わたしが今回述べるのは20000超の経営者のうち、地元資本の法人の経営者について、ということになります。

 これも以前に述べたことですが、海に囲まれた島嶼県であるため、また戦後27年間、アメリカの統治下にあったこともあるでしょう、地元資本の経営者たちの多くは「沖縄県だけのマーケット」を見つめて、そこの経営基盤に発展してきました。

 そしてまた戦後の人口増加とともに沖縄にも高度成長期は存在していたのです。社会の必要に迫られて、多くの企業が創業され、発展してきました。いま、沖縄県内の地元資本で上位を占める企業のほとんどは、1940年代後半~70年代前半に創業した会社で、創業50年~70年に差しかかっています。

 これらは、実は沖縄の経営者を語る上ではとても大切なことなのですが、その視点で語られることは(わたしの狭い知見では)あまり見られません。なぜなら、本土ではあまり見られない、もしかしたら世界で沖縄だけの特徴だから、なのですね。

 沖縄の経営者にはいくつかの世代があります。

 まず戦後第1世代。戦前1920年代~30年代生まれで、厳しい戦争を生き残り、先ほど述べた1940年代後半~70年代に創業した会社の創業者、またはその会社の二代目、三代目となった方々です。そのメンタリティは「まず沖縄復興」にあり、目的意識が明快で非常にタフで粘り強く、目標達成のためには形にこだわらない、清濁併せ呑む懐の深さがあります。戦争で生き残れたことが僥倖、死ぬことを思えば何ほどのこともない。

 わたしはラッキーなことにその世代の方と最後に会話できた世代で、半ば根性論になってしまう御仁たちの話のバックボーンがやはり戦争にあること、何より「死を思うとき」という考え方に感銘を受けました。実際、御仁たちはそれぞれに個性をもちつつも、度量のある大人物が多かったと記憶しています。

 その世代の方々もお亡くなりになるか、ご存命でもすでに90歳を超えています。実際の企業経営に携わる人もほとんどいなくなってしまいました。

 次に戦後第2世代。終戦直後~1950年代生まれで、先の第1世代の薫陶を受けながら育ち、主に80年代に創業または第1世代の会社のおおむね三代目以降を担われている方々です。この世代の方々が2010年代から現在の沖縄の経営者層の中心でもあります。

 戦後の高度成長期、またアメリカ統治下という特殊な時代に育ち、80年代のバブルの影響を享受したこともあり、華やかさを持ち非常に楽天的、また動けば発展するという時期でもあったため、勢いに乗ればどこまでも吹き上がれますが、いざ苦境になると対処法を持っていない人も見られます。

 また、この世代は「仕事のできる人・できない人」が両極端に分かれていることも大きな特徴ではないでしょうか。

 つまり現在の沖縄には、仕事のできる経営者と、仕事ができない経営者、両極端の経営者が多く存在しているということです。

 話が長くなってきましたので、続きます。

 ちょっと丁寧に考察したいと思います。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

 あでゅー。

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