島言葉(しまくとぅば)

 世界のみなさま、こんにちは。

久しぶりに雨の上がった空を見て、オキナワンブルーとつぶやいてしまった沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 地元の人は、オキナワンブルーなんて言わないんですよ。

 さてさて、今日の話題は島言葉。しまことば。沖縄方言のことをそう呼び、本島の方言では「しまくとぅば」と表します。小さい「う」は伸ばしません。

 これを宮古島では「島」は「ずま(地域によっては、すま)」、「言葉」は「口(くちと書いて、ふつ)」と表しますが、「ずまふつ」とは直訳せずに、「宮古口(みゃーくふつ)」と表します。

 八重山(石垣島)では「島言葉」を「島物言(すまむに)」と表すようですが、これは直訳じゃないかと考えております。わたしの(狭い)知人の範囲では、これという知見は得られておりません。

 で、島言葉。数年前から「島言葉を大切にしよう、継承、普及させよう」という運動が全県的に行われています。

 ところが。

 わたしたちのように方言を話せない世代から見ると、これは少し滑稽な話に映るのです。なぜなら沖縄では「日本復帰に向けた方言禁止の時代」があったから。なんですね。

 戦後アメリカの統治下に置かれた沖縄では、日本国への復帰に向けた運動が年々激化していきました。そのなかで、方言をやめ共通語を使っていこうという運動も始まり、方言で会話した生徒などは「方言札」をぶら下げられたりしていたわけですね。

 分かります。とても理解できます。

 主に軍人や軍属たちの事件・事故で悲惨な目に遭っているのに、それが地元住民には不利に裁かれる、あるいは裁かれもせず泣き寝入りするしかない状況下で、必死の思いで日本国への復帰を願い、運動した先達の思いや涙。理解できないはずがありません。

 しかし、いざ復帰して、そのあとに生まれて、方言を話せず(実際にはわたしは片言レベルですが)に育った世代を目の前にして「今の若者は方言も話せない」などと嘆くオジイが居たりするわけですよ。ため息をつかれたりするわけです。

 一度ならずそのようなことを言われたら、こちらも言い返したくなるじゃないですか。「自分たちで方言を禁止しておいて」と。

 そもそも沖縄県民にありがちな「他人(内地)の芝は青い」かつ「自分ちの芝(文化や芸能、特産物など)はダメダメ」的な考えは、この時代に生成されたものじゃないかとわたしは考えております。

 地元のものもそれなりに良いものだ、と、なぜ自信をもって叫ばないのか。というような先輩たちへのいら立ちも込めて、ですね、「自分たちで方言を禁止しておいて」となるわけですよ。

 わたしの拙い方言は、いやはや中学生レベルの英語のほうがまだマシと思えるほどで、折に触れて憶えよう憶えようと努めてはおりますが、方言ペラペラの世代と会話するのと、外国にひとりで行くのと、どちらが気楽かという話です。

正直、外国のほうがまだ気楽ですね。もう、言葉が通じない前提で突撃できますから。

 とはいえ、この島の歴史を理解するほどに、先達の切ない思いや嘆きや願い、そして言葉では言い表せないほどの怒りを否定することはできません。自分たちの言葉を失ってでも、当時の状況を変えたかった。それくらい、悲惨な状況だった。

 そういうことなのだと、今は思えます。

 言葉は自分たちのアイデンティティを支える重要な柱ですし、もちろん沖縄に限らずその地域地域の「おくにことば」は味わい深いものがあります。大切にしていきたい気持ちはわたしにもあります。

 それを捨ててでも現状を変えたいと思わせるほどの、状況。あなたは想像できますか。

 わたしは日本語が島言葉と同じくらい大好きです。とても美しく、繊細で、豊かだと思います。捨てたくはありませんよね。ほんとうに。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原でした。

 あでゅー。

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