月別アーカイブ: 2019年1月

小学4年生を殺した内弁慶の恥

 世界のみなさま、おはようございます。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 昨今、悲しいニュースは少なくありませんが、小学4年生の事件もまた、悲しくてなりません。

 幼い我が子(我が子じゃなくても幼い子ども)を、死ぬまで痛めつける。

 そのようなことが人間にできるものだろうか。いや、自分にはできない。誰かに頼まれてもできない。できる人がいるのか。

 いるのですね、悲しいことに。

 子どもを殴れる人。痛めつけられる人。このような人は、まず自分より弱い立場の存在であれば、何に対しても牙をむきます。自分より弱い立場の人にしか、偉そうに振る舞えないからです。

 このような人間を内弁慶と呼びますね。

 強い人の前ではおとなしく振る舞い、弱い人に対しては強気に振る舞う、情けない人。人として弱い人。恥知らず。

 いやもう、罵倒するような言葉しか出てきませんけれども。

 このような人。昔から少なくはなく、それなりに数がいるから今回のような悲劇はなくならない。社会の抱えた宿痾(しゅくあ)ですよね。

 この宿痾をゼロに近づけるには……やはり教育ですね。時間がかかっても、たとえ何十年と時間がかかっても、それが根治へ向けた最短距離であることは間違いない。

 強者に立ち向かえとは言わない。ただ、弱きを助ける人であること。少なくとも弱きを痛めつけるような人間にはならないほうがいい。

 そう。

 もしかしたら、大事なのは、この「ならないほうがいい」という表現かもしれません。

「〇〇になってはいけない」と言ってしまうのは、教育する側の心情として理解できるけれども、それはまた価値観の押し付けにならないか、対応できない人を追い込んでしまわないか。

 そして、対応できない人こそが、内弁慶になってしまう人なのではないか。

 うむう。堂々巡りと言うか、メビウスの輪と言うか。

 計画・実践・評価・改善。んまー、当たり前のことですが、これこそPDCAで進めなければならないことでしょうね。

 教育はPDCA。

 罵倒する。で、思い出しましたが、どこかの市長の部下に対する罵倒っぷりも半端なくてすごいものがありますね。

 その罵倒部分だけ抜いて「これはパワハラだ」という識者とやらがおりますが、前後の脈絡も知らずに評価するのはよろしくないですね。

 「市民の安全のために道路を拡幅する事業なのに、7年間も何も前に進めていないお前たちは何をやってんだ! このバカモノどもが!」的な流れから、激高して件の言動につながっていったわけです。

 公開された音声データにも「市民の安全のために」とハッキリおっしゃっていますね。

 この市長は内弁慶ではない。なぜなら、記者会見に出てきて自分の発言を言い訳せずに認めたうえで謝罪し、それでも辞任は否定していますから。

 わたしも辞める必要はないと思いますし、マスメディアには冷静な判断を求めます。市長の発言は確かにパワハラと言えるでしょうが、その元となったのは、公務員の怠慢であるということです。

 このように怒鳴られた職員が「パワハラとは受け取っていない。市長には反省してもらって、また業務を進めたい」と話したそうですが、職員さんよ、まずは貴様が反省しろよ、ということですよね。

お前は何様かと。自分の怠慢で怒鳴られたのに、市長に反省しろだと。ああ、恐るべき勘違い。こういう人間こそ……危険を孕んでいますね。

 ほんとうに強い人はむしろ優しく、そして弱い相手に対して、弱い。

 この意味が分かるでしょうか。

 ほんとうに強い人は、自分のチカラを見せびらかしたりしないし、さらには弱き立場の存在をかばうことができます。弱き存在の気持ちを察することも守ることもできます。

 でも、守れなくてもいい。傷つけなければいい。

 弱きを傷つける人は、弱き人。

 ああ。ここにもいましたね。

 上意下達で、県民から住民投票の権利を奪おうとした人たち。

 あなたがたは内弁慶の最たる存在ですね。

 糸満市に暮らしていた小学4年生が千葉県で父親に殺されました。あなたがたは、どう思いますか。何ができますか。何かをするために、立候補したのではないですか。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。

空手は武道かスポーツか。

 世界のみなさま、おはようございます。

 いくらなんでも70分オーバーの記者会見のほとんどを生中継するってえのはやりすぎじゃないですかと思ってしまった、沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 無責任という質問があったようですが、それどころか、充分すぎるほどに配慮された発表だったと思います。だって、辞めたいけど2年間ガマンするとおっしゃっているわけですから。ファンにもメンバーにも、商業的にも充分すぎますよ。

 あ、嵐さん関連ですが。

 さて、ここ数年、俄かに脚光を浴びている「空手」について、恥ずかしいことにわたくし喜良原はお仕事で御一緒するまで、ほとんど認識しておりませんでした。

 空手発祥の地に生きていながら空手のことをほとんど知らない、なんならマンガのなかでしか知らないような為体でございました。なんたる軽薄な人生でしょうか。

 しかし、空手。

仕事で御一緒して目が行くようになったのか、たまたま訪れた体育施設やテレビなどで見かけるようにもなり、沖縄県では「空手による沖縄振興策(おもにツーリズム)」を打ち出していて、内閣府でも空手の紹介をしているほど。

この急激な空手ブームに、個人的にはとても驚いています。

 ところで、現代空手がどのように競われているか、みなさまご存知でしょうか。

 空手の競技は「型」と「組手」に分かれていて、「型」はアイススケートや体操系の種目と同じように審査種目で、「組手」は剣道、柔道などと同じく、相手がいて……まあ、タイマン張りましょ(古語ですんません)的な感じです。

 前置きや説明は、沖縄県庁(空手振興課)内閣府のサイト東京五輪公式サイトをご覧いただきつつ本題に入りますが、空手は武道かスポーツか。ということです。

 先日テレビを見ていましたら、五輪種目としての空手競技会が放送されていました。ど素人のくせに格闘技はなんでも大好きなわたしですから、ちょうど始まった「組手」の映像に目を奪われ……奪われ……ませんでした。

 なんとなくプロボクシングやキックボクシング、総合格闘技をイメージしていたわたしが間違っていたのだと思いますが、マンガでいえば「コータローまかりとおる」や「修羅の門」的なイメージをしていたための勘違いだと思いますが、テレビのなかの「組手」は純然たるスポーツであり、早さと的確さが重要で、まるでアマチュアボクシングのように感じました。

 つまり、お互いに巧みなステップと素早い動きを駆使して、突きや蹴りを当てる、防ぐ、躱すなど、どちらかと言えば剣道やフェンシングに似た感じの競技でした。

 だいぶ以前に生で観戦したことのある空手大会の「組手」は、顔面攻撃その他反則はあるものの、近距離でひたすら打ち合うもので、もしかしたら、今もそのような大会は存在しているのかもしれませんが、しかし空手とは、武道なのでしょうか、それともスポーツなのでしょうか。

 わたしの狭い知己の範囲ですが、空手や古武道をやっている人はほとんどが地元の空手道場に通っていて、頑健な体で、素早さよりも力強さを感じさせる人ばかりで、拳は分厚く硬くなっており、こんな拳には間違っても殴られたくないと思わせる人ばかりです。

 しかし、画面のなかの「組手」はそうではなかった。素早く動くために鍛えられた体形で、目の前で動かれたらとてもじゃないが、追えないと思わせるほどです。しかもポイント制なのですね。これも知らなかった。

 どちらが良い悪いということはなく、ただ疑問に感じました。

 空手は武道かスポーツか。

 その両方がある。はい、理解できます。

 オリンピックはスポーツの祭典ですから、殴り合って血を流すような競技は採用できないでしょうし、これを観戦したいと思い、興味を抱く人も限られるでしょうから。

 沖縄には数多くの空手の流派があり、道場があります。

 自分がどちらを向いて(武道かスポーツか)空手を志すのか、という立ち位置の問題なのかもしれません。

 ただ、空手発祥の地に住まうものとしては(ど素人ですが)、やはり空手は武道であってほしいと勝手に願うのでした。

少年のころに古武道の「サイ」に憧れていた、沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

足に落として刺さるところでしたよ。

 ではまた次回。

日本的な何かを求める人

 世界のみなさま、おはようございます。

 某有名芸能人チーム(素直に嵐と言えばいいのに)の引退で、あちらこちらにロスな人を見かけるようになった、沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 「安室奈美恵さんのとき、アムロスと言っている人がいたけど、そんなこと有り得ない!と思っていた。いまは、アムロスの人たちに謝りたい」という知人の言葉に、そんなこと有り得ない! と言ってしまいそうです。

 だめだめ。思いは人それぞれ。

 さて、「日本人初の!」という枕詞で語られる女子テニス大坂なおみ選手のオーストラリア・オープン優勝、本当におめでとうございます。

 この大坂選手、昨年(2018年)9月のアメリカ・オープンの優勝から、やたらと「日本人初の」と枕詞をつけられて紹介されてきました。ほかにも「日本人らしい」や「日本人として」など、数え上げれば切りがないほど「日本人」に引きずり込まれる彼女を見て、きつくないかなと感じてしまうのは、わたしだけではないでしょう。

 ハイチ人の父親、日本人のお母さん、日本生まれの米国育ちで二重国籍かつ褐色の肌を持つ彼女は、日本語の質問を受けて英語で返答するくらい(聞き取りは完璧だけれど)日本語を話すのは苦手。

彼女が一般人ならば、米国であれ日本であれ、彼女が「日本人」と扱われるシチュエーションは非常に限られるでしょう。

それなのに、彼女は登場するすべてのメディアで「日本人」として活躍しています。

 いい加減、日本語でのおもしろコメントを求められるのにも飽きているのではないかなと、心配になるほどですが。

 沖縄では、その歴史上から、ある世代(70歳代前半)以降、ハーフ(現代的な表現では、ダブル)の外見を持つ人が、少なくありません。血筋的にクォーター(ここだとクワドラプルになるのでしょうか?)となると、それこそ数え切れなくなります。

 戦後しばらく、県内においても「ハーフ」に対する差別はあったと聞いています。それは戦争体験による悲惨な記憶、戦後の米軍統治に対する不平不満、そこに存在した不平等や事件事故など、すべての負の感情が、「ハーフ」というマイノリティに向けられたものだったと推察します。

 しかしまた、時代の流れとともに「ハーフの人に対する差別は、恥ずべきもの」という認識を持つ大人たちもたくさん現れ、わたしたちの世代になると、その人の外見よりも、その人の中身が重要だという感覚になり、それが正しいことかどうか分かりませんが、わたしは目の前の人がハーフなのかダブルなのか、クォーターなのかクワドラプルなのか、あまり認識できません。苦笑

 友人が「実はハーフ」だったという事実を、知り合って2年後に知らされたときも、一緒に仕事をするスタッフが「実はクォーター」だったと3年後に知らされたときも、それまで全然気づかなかった自分もどうかと思いますが、特に驚かずに、ああそうなのねと返事した自分もどうかと思ったりします。

 「喜良原さん、日本語がお上手ですね」と名刺交換の際に言われたときは、さすがに名刺の漢字は当て字に見えるのかなと感じましたが、自分がときどきは(主にインドより西のアジア系)外国人に間違われてしまうな外見であることも否めず、見かけはほぼ外国人だが先祖に外国人はいないという知り合いも少なくないし、外見でその人の何かを決めるという習慣は、自分自身にはないし、周囲の人にも少ないような気はしますね。

 先に沖縄県知事に選ばれた玉城デニーさんも、アメリカ人とのハーフで、その出自を隠してもいません。

 しかしながら、県内においてマイノリティに対する差別、あるいはそれに近いような「区別」的な扱いがまったく存在しないかと言えば、それはまだ確実に存在しますし、大坂なおみ選手の「日本人」に似た使われ方をする言葉で、「県出身」という表現が県内のメディアで踊っていることを考えれば、メンタルの部分ではあまり変わりはないようです。

 うむー、話がどこに流れていくか微妙になってきましたので、無理やり今日を締めていきますが、大坂選手の活躍が「日本人初の」と枕詞をつけられるのは(事実でもあるので)仕方ありませんが、これ以上彼女に「日本的な部分」や「日本語でのおもしろコメント」を求めるのは、敬意を欠く行為にしか映らないので、やめてほしいということです。

 スポーツ選手は、そのプレイや振る舞いで評価をされるべきであって、人種であったり、「〇〇人らしさ」的なものを求めるのは、いかにも日本のメディア的で、バラエティ番組を思わせる「予定調和」を感じさせる、常識知らずの恥知らずな行為です。

インタビュアーだけではなく、すべてのメディア人、そしてテレビのこちら側にいるわたしたちも心掛けなければいけないことです。

 人には、敬意をもって接する。当たり前のことです。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 また次回。

オリオンビールは何故闘わなかったのか。

 世界のみなさま、おはようございます。

北川選手がまだまだフィットしていないことを嘆いている、沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 ただ、彼のゴール集を見てみたら、流れのなかで意図をもって狙ったゴールというより、たまたま良いところにいたという形が多いように見受けられます。

 もともとウラに抜けたところで勝負するプレイヤーですから、「固めた相手を崩すための動き」「狭いところでも突破する動き」などは得意ではないのでしょう。

 さて、県内一部では激震のオリオンビール買収劇ですが、今日はマスメディアがなぜ突っ込まないのか疑問に感じたことを書きます。少なくともこの記事を書いている1月25日現在は突っ込んでいない話です。

 それはつまり「オリオンビールの経営陣は、なぜ闘わなかったのか」という話です。

 「闘わなかった」の意味は、もちろんファンド側の株式の買い付けに対して、なぜ自社株の買い付けを行わなかったのか、ということです。

 記者発表では「会社の未来」「第2の創業」「沖縄のアイデンティティ」など、聞こえの良い表現が並べられましたが、それらはむしろ耳障りでしかなく、これまでの経緯も現在の真実もこれからの未来予測(幻想ではない)も、なにも発表されませんでした。

 発表された事実を列挙します。

「会社はTOBを受諾し、株主には買い付けに応じることを推奨する」「特別目的会社には経営陣が個人として出資する」「創業家関連会社は子会社として残る」「新体制の取締役には現在の会長・社長は入る(+あと2名オリオン枠がある)」ですね。

 これは見かたによっては「経営陣がファンドに懐柔され、闘わずに降伏した」というようにも見られるわけです。

 アサヒや創業家関連を除いても、「これまでオリオンを支えてきた株主」が60%超もいるなかで、「闘いたい。我々を助けてくれ」とアタマを下げれば、株式に関する委任状を取ることも出来たはずですし、一時的に株式を買うこともできたはずです。しかもTOBの条件より安く買い付けることもできたはずです。

 それをやらなかった理由はなんでしょうか。

 闘わなかった理由はなんでしょうか。

 それは会社や社員、これまで支えてきた株主、地元のビールを愛飲してきた県民に対する裏切りじゃないでしょうか。そのように感じるのはわたしだけでしょうか。

 地元マスメディアは、なぜそこにツッコミを入れないのか。倒産した小さなベンチャー企業を後追いで叩く記事は掲載するくせに、「なぜオリオン(の経営陣)は闘わずに白旗をあげたのか」という追い方はしない。

 馴れ合いですかね。

 長い間、狭い地域でお互いに成長してきた会社同士ですから。そこに馴れ合いが存在していたとしても、仕方ない。

そのようなメディア姿勢で良いのでしょうか。

 すでにTOBが始まっています。株式は買われていくでしょう。

個人的には資本の県内外にはこだわりませんよ。待遇が上がる、雇用情勢が良くなるのであれば、大歓迎じゃないですか。

ファンド側がビール事業を見限って名護工場を閉鎖して跡地にホテルを建てようが、国際通りのホテルロイヤルオリオンを解体して高層の複合ビルディングを建てようが、山の上のゴルフ場を潰してホテルを建てようが、それはもうファンド側の自由ですよ

それらが切り売りされてオリオンという会社が消滅する可能性も否定できませんが。

 闘わずに白旗をあげた。

 なんのために税金の支払いを渋ってまで200億円を超える内部留保を保持していたのでしょう。このようなときのためではないでしょうか。

 そこに誰も突っ込まない。

 マスメディアもそれで良いのですか。

 沖縄県の地元経済は、淘汰されていく。M&Aが進むであろう。との予測を書きましたが、その第1弾がまさかオリオンビールになるとまでは読み切れませんでした。予測できないから想定外という言葉が存在するわけですね。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原まなつでした。

 あでゅー。

オリオンビール買収決定

 世界のみなさま、おはようございます。

大坂なおみ選手の笑顔に日々癒されている、沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 わたしも「お誕生日おめでとう」と言われてみたいです。

 先週から県内の一部(ある年齢以上の方々)に激震を見舞っている「オリオンビール買収」の件ですが、1月23日の記者会見により買収決定が正式に発表されました。

 今回の一連の発端、前々回に書かせて頂いた3つのルートから言えば、正解はCルートの「創業家や関連企業が動いた」でした。

 創業家とはいえ、今やオリオンビール本体には株主である以外の係累を持たず、その意向が伝わりにくくなったことを嘆く創業家および関連企業が、ファンドに相談を持ち掛けたというのが本筋でしょう。

 あるいは本当に現金が必要になったのかもしれず、密かにオリオンビール側に高値での株式譲渡を持ち掛けていたが、条件が整わなかったためにファンドを頼った。などということもあったかもしれません。

これらはいずれも県内メディアには露出しない話ですが(県内メディアも、もっと際どい部分まで露出させてもいいと思いますが)、前々回にも触れたように、創業家の関連企業がオリオンビール本社の土地建物の所有者であり、かつ今回の買収劇でも当該関連会社は株式も不動産も保有したまま買収側の子会社になる、というファンドからの一定の配慮がある点を考えると、ドロドロとした愛憎劇が少なからず存在していた可能性は否定できません。

オリオン側からも株式買い付けの特別目的会社に資本を入れさせてもらうなど、何とか体面を保って発表できるレベルの条件は確保していますが、それも現時点での体面が保てる程度のもので、買い付ける期間を潜り抜ける間だけ体裁を整えておくということでしょう。いずれ買い付けが終わってほとぼりが冷めれば、しれっと資本構成も経営陣も変わっているでしょう。いえ、そのようにすることができるという意味です。

 今回の件は、すでに決まったことですから、あとは流れを見ながら、その場その場で適宜判断していくしかありません。

 いくら残念がったところで、以前の状態に戻るのは難しいでしょうし。

 それよりも、今回の件が県内経済界に与える影響……というより県内企業の経営者に与える恐怖心はどれほどのものかと推察します。

 対岸の火事ではない。それがハッキリと分かったはずです。オリオンビールは最新の県内企業ランキングで9位の会社です。それが買収されるということは、です。

2位の電力会社を除けば、どの企業が買収の対象となっても不思議ではない。この事実がハッキリと見えたはずです。

 ああ。

 今回の買収劇は、沖縄経済界においてはパンドラの箱を開けたも同然です。

 いつも、誰かが欲に駆られて開けてしまう箱。

 オリオンビールはいつまでオリオンビールで在り続けられるのでしょうか。

 余談です。「わたしの政治力のすべてを使って、この買収を阻止する」と述べた方がいらしましたが、政治力は使えたのでしょうか。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原まなつでした。

 あでゅー。