小学4年生を殺した内弁慶の恥

 世界のみなさま、おはようございます。

 沖縄らぶびたんDays、主筆の喜良原(きらはら)です。

 昨今、悲しいニュースは少なくありませんが、小学4年生の事件もまた、悲しくてなりません。

 幼い我が子(我が子じゃなくても幼い子ども)を、死ぬまで痛めつける。

 そのようなことが人間にできるものだろうか。いや、自分にはできない。誰かに頼まれてもできない。できる人がいるのか。

 いるのですね、悲しいことに。

 子どもを殴れる人。痛めつけられる人。このような人は、まず自分より弱い立場の存在であれば、何に対しても牙をむきます。自分より弱い立場の人にしか、偉そうに振る舞えないからです。

 このような人間を内弁慶と呼びますね。

 強い人の前ではおとなしく振る舞い、弱い人に対しては強気に振る舞う、情けない人。人として弱い人。恥知らず。

 いやもう、罵倒するような言葉しか出てきませんけれども。

 このような人。昔から少なくはなく、それなりに数がいるから今回のような悲劇はなくならない。社会の抱えた宿痾(しゅくあ)ですよね。

 この宿痾をゼロに近づけるには……やはり教育ですね。時間がかかっても、たとえ何十年と時間がかかっても、それが根治へ向けた最短距離であることは間違いない。

 強者に立ち向かえとは言わない。ただ、弱きを助ける人であること。少なくとも弱きを痛めつけるような人間にはならないほうがいい。

 そう。

 もしかしたら、大事なのは、この「ならないほうがいい」という表現かもしれません。

「〇〇になってはいけない」と言ってしまうのは、教育する側の心情として理解できるけれども、それはまた価値観の押し付けにならないか、対応できない人を追い込んでしまわないか。

 そして、対応できない人こそが、内弁慶になってしまう人なのではないか。

 うむう。堂々巡りと言うか、メビウスの輪と言うか。

 計画・実践・評価・改善。んまー、当たり前のことですが、これこそPDCAで進めなければならないことでしょうね。

 教育はPDCA。

 罵倒する。で、思い出しましたが、どこかの市長の部下に対する罵倒っぷりも半端なくてすごいものがありますね。

 その罵倒部分だけ抜いて「これはパワハラだ」という識者とやらがおりますが、前後の脈絡も知らずに評価するのはよろしくないですね。

 「市民の安全のために道路を拡幅する事業なのに、7年間も何も前に進めていないお前たちは何をやってんだ! このバカモノどもが!」的な流れから、激高して件の言動につながっていったわけです。

 公開された音声データにも「市民の安全のために」とハッキリおっしゃっていますね。

 この市長は内弁慶ではない。なぜなら、記者会見に出てきて自分の発言を言い訳せずに認めたうえで謝罪し、それでも辞任は否定していますから。

 わたしも辞める必要はないと思いますし、マスメディアには冷静な判断を求めます。市長の発言は確かにパワハラと言えるでしょうが、その元となったのは、公務員の怠慢であるということです。

 このように怒鳴られた職員が「パワハラとは受け取っていない。市長には反省してもらって、また業務を進めたい」と話したそうですが、職員さんよ、まずは貴様が反省しろよ、ということですよね。

お前は何様かと。自分の怠慢で怒鳴られたのに、市長に反省しろだと。ああ、恐るべき勘違い。こういう人間こそ……危険を孕んでいますね。

 ほんとうに強い人はむしろ優しく、そして弱い相手に対して、弱い。

 この意味が分かるでしょうか。

 ほんとうに強い人は、自分のチカラを見せびらかしたりしないし、さらには弱き立場の存在をかばうことができます。弱き存在の気持ちを察することも守ることもできます。

 でも、守れなくてもいい。傷つけなければいい。

 弱きを傷つける人は、弱き人。

 ああ。ここにもいましたね。

 上意下達で、県民から住民投票の権利を奪おうとした人たち。

 あなたがたは内弁慶の最たる存在ですね。

 糸満市に暮らしていた小学4年生が千葉県で父親に殺されました。あなたがたは、どう思いますか。何ができますか。何かをするために、立候補したのではないですか。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。

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