月別アーカイブ: 2019年5月

Yナンバーに思うこと。

 世界のみなさま、おはようございます。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 沖縄では梅雨空が舞い戻り、雲がモクモク……いえ、どんよりとした雲に島も海も覆われています。

 さて、本日のテーマは「Yナンバー」。米軍基地が身近にある地域ではご承知でしょうが、もともとは「米軍人または軍属の個人所有の車両」につけられているナンバープレートのことで、「沖縄〇〇〇 Y 〇〇-〇〇」の表示から、それらのナンバーがついた車両のことを通称「Yナンバー」と呼んでいます。

 今週になって新聞紙面で「Yナンバー、事故補償が進まず」という内容の記事が掲載されていました。

 米軍人運転の個人車両との事故に遭った地元の方が、事故原因となった相手方(軍人)から何の保障もされず、当人と連絡も取れず、米軍からも何の音沙汰もなく、沖縄防衛局に連絡しても何の折り返しもない。という内容でした。

詳しくは記事をどうぞ(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/425174)。

 これ、実は沖縄では(あるいは日本国内の米軍基地のある地域でも?)昔から数え切れないほどある事例です。

 何の保障もなく、自費で車を修理あるいは買い替え、ケガを負ったときも自費、死亡したときも泣き寝入り。こんなことが積み重なって、昭和の時代には暴動が発生したこともありますね。(昭和45年=1970年、コザ暴動。詳しくはWikipediaで)

 日本国内の法律でも、交通事故は基本的に個人同士の調整になっています。これは軍人・軍属相手でも変わることはありません。しかし軍人軍属相手の場合の問題は、相手方が逃げようと思えば、逃げ切れることです。フェンスの中に逃げ込んで日米地位協定を盾にすれば、逃げ切れてしまう。

 日本人同士だと簡単にはあり得ないことが、軍人軍属だと容易にあり得てしまう。これって本当に同じ日本の出来事なのですか。

 と、不平不満ばかりを述べても仕方ありませんね。

 今さらですけど、解決策がふたつあります。

 まず一つ目。軍人軍属は直接的な個人車両の購入が出来ないようにすることです。つまり、米軍人はほしい車両を見つけたら軍に申請して、軍が車両購入を媒介して、軍人に売り渡すというシステムです。そして事件事故の場合は、軍が保険会社に連絡して対応してもらうという形です。軍人軍属への処罰などは、軍内で勝手にやってください。とりあえず補償を最優先にということです。

 次に二つ目。こちらのほうが現実的だと思いますが、まず車両を購入したければ軍に申請し、軍の購入許可証を受けるということです。軍内で任意保険の加入を義務付けているのであれば、売る側も任意保険の加入した証明書がなければ、車両を引き渡さないというルールも必要ではありませんか。

 書いているうちにいいアイディアが浮かんだので三つ目。

軍人軍属には車両は売らないという選択肢もあるでしょう。その代わり、基地内にレンタカー会社を作って、個人車両は持たず、レンタカーに乗ってもらいましょう。保険完備のレンタカーに。こちらが一番現実的かもしれません。

好きな車を所有できないという意味では人権問題になるかもしれませんが、すでに事件事故で充分な補償が受けられないという人権侵害が起きている以上、どちらが優先されるべきか、明々白々ではありませんか。

 ただ、中部地区の中古車販売業が壊滅的な打撃を受けるかもしれません。主客層は軍人軍属だという業者は少なくありませんから。

 軍人軍属に責のある事件事故で、充分な補償をする。それだけのことがなぜ達せられないのか。疑問は消えることはありませんが、令和初の国賓への対応を眺めていたら……がっかりとした気持ちとともに、なんとなく納得、みたいな感じになってしまいますね。

 この残念感がこの先、払拭されていきますように。皆が幸せと感じられますように。そう願わずにはいられません。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。

101回目の……。


 世界のみなさま、おはようございます。

 「沖縄のさかなクン」の将来が楽しみな沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 まさか図鑑の写真が間違っているなんて、誰も思わない。予断や固定観念のない子どもだからこそのお手柄でしょう。

 しかし出版社にとっては、とんでもねえ恥です。責任者は良くて左遷でしょうね。新聞紙面に(しかも一面に)は絶対の取り上げてほしくない事故と言うか失態と言うか……。ほんとうにご愁傷さまです。決して対岸の火事ではありません。

 さて、この沖縄らぶびたんDays。きちんと数えたわけではありませんが、たぶん今回で101回目の記事です。ちゃんと数えろよと思われるでしょうが、そこはそれ、過去の記事を読み返すことはあっても、数えることに意味はないと考えていますから。

 ちなみに読み返しても、その記事の主旨を変えるような修正はいたしません。誤字脱字は訂正するかもしれませんけれども。

 過去の記事は「その時点の自分の最善」ですから、否定はしないでおこうというのが、自己嫌悪に陥りやすいわたしのせめてもの自己肯定なのです。と、御目通しのいい書き方をして、自分の怠慢を隠しておきます。

 さてさて、101回目といえば、プロポーズを思い出した方、いい感じに古いですねえ。最近30歳の女性に「チャゲアスといえば、例の事件だけ」と言われました。そうですね。彼らの全盛期に小学校低学年だったのなら、仕方ありません。ぐはっ。

 しかし101回目で如何に趣旨を変えるような修正はしないと言ったところで、自分の認識や知識が足りていないときはどうすれば良いのか、迷います。

 たとえば県民所得。

 個人の収入(給与や財産所得などを含む)と企業の収入(個人給与などを除く粗利益部分)を足したものが県民所得。それを総人口で割った数字が一人当たりの県民所得。

 では、県民一人あたりの個人収入はいかほど?

 この系統の資料の読み込みが不足していた自分を責めないわけにはいかないでしょうね。やはり浅はかなわたし。しくしく。

 沖縄県の雇用者報酬(役員報酬・社員給与も含む)は平成27年度で2,165,282,000,000円。えー、2兆1652億8200万円です。

 これを同じ平成27年度の労働力人口(就労者のみ)664,000人で割ると、3,260,966円という数字になりました。326万円ですね。ちなみに沖縄県の資料では約378万円となっております。ちょっとここの計算方法はまだ把握できていません。

 で、ここで面白い数字を。

 平成元年度。30年前の1人当たり雇用者報酬、沖縄県。367万3373円。

 わたしの計算で、平成27年度が326万円。沖縄県の公式発表で378万円。どちらが正しいとしても、とんでもない話ですね。

 平成27年度沖縄県の最低賃金は693円。平成元年は442円。最低賃金は上がっておりますが、1人当たりの雇用者報酬はご覧の通り。これって、ある意味で県民所得が1.13倍という数字より怖くないですか。

 最低賃金は上がっていて、雇用者報酬は下がっているか、ほぼ横ばい。労働力人口の平成元年データがまだ探せていないのでアレなのですが、この辺りの数字にわたしたち沖縄県のなんとなく怖いポイントが潜んでいるように思えて仕方ありません。

 もう少しデータを整理して、また触れていきたいと考えます。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。

パラシュート降下訓練。

 世界のみなさま、おはようございます。

 元大関には白星をあとひとつ挙げてほしいし、新大関には来場所の勝ち越しを願っている沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 昨日の元大関のかかと。

WEB上に公開されているアップの写真では土俵外に触れてはいないけれど、そこはそれ、最後に決めるのは親方の世界ですから。平幕優勝を後押ししたいとか、出身国についての考えだとか、部屋同士の関係性だとか、無いとは思いたいところ。親方の世界にも。

 ちなみに何度も再生されたスローVTRでも、俵の外の砂は噛んでいないと見える。このような物言いで、いわゆる「死に体」の力士が勝ったとするのは相撲道に鑑みてもどうかと思われるけれど、親方の世界ではどうなのでしょうね。

 さて、我が沖縄。地元に住んでいればもう日常的になってしまって感覚がマヒしそうなのですが、街中に位置する嘉手納基地で「パラシュート降下訓練」が行われています。

 なんと申しますか、いわゆる落下傘部隊の訓練が、周囲を街に囲まれた嘉手納基地で行われているわけです。

 まあ、百歩譲って、その訓練は必要なものなのでしょう。

 しかしその訓練は「日常的には伊江島飛行場で行うこと」が決まっています。一方で「例外的に、嘉手納基地で行うことも認める」とも決められています。では、何が「例外的」なのか。これで毎回揉めるわけです。

 日本の外相は国会答弁でこの「例外的」の定義の一つに、「喫緊の必要性があるとき」と

答弁しています。いまパラシュート降下訓練を実施する喫緊の必要性があったのかどうか、わたしには判断できませんが、今回の事態に日本の防衛大臣は「やむを得なかったと理解する」と回答しています。

 これも毎度のことながら、呆れますが……。

 沖縄県の副知事が基地まで出かけて司令官に抗議したあと、記者団の前では何の実入りもない会話の中身を説明しただけでした。

 というのにも、毎度のことながら呆れています……。

 これだけだったらわざわざ抗議に行くことなどありません。行政のポージングに無駄な時間とガソリン代をかける必要はありません。

 能面のような表情で「やむを得ないと理解する」ほうには怒りの感情がありますが、県行政の「防衛局の人間を呼んで抗議した」だののニュースには呆れると飽きる、そして怒るの思いが混ぜこぜになった妙な気持になります。

 頭ごなしに物事を決められて腹が立っているのに、もっと他にできることはないのか、なぜいつも形ばかりの抗議だけなのか、という考えで、行政を責めるのは筋が違う気もするにはするのですが。

 わたしが沖縄に生まれ育って生きていなければ、どのように考えていたか。もしかしたら、「ひどい話だけれど、遠い沖縄の出来事」と考えたかもしれません。それもまた、想像できる話です。

 世界のみなさま。

 わたしはひとりの人間として、腹を立てています。

 こうも地元の意向を無視して物事を進めていく、日本国政府に。

 あるいは米軍との窓口になっているはずの防衛局の仕事の進め方に。

 あるいは何の結果も引き出せない抗議だけに終始する県行政の虚しさに。

 しかしですね。

 これらも善意であるとするならば、いや、多分に善意はあるわけです。少なくともすべてが打算ばかりではないでしょう。

 その多分に存在する善意の表れ、集合体が現状だとして、わたしが腹を立てているものの正体は何かと突き詰めていけば、それはやはり「良き隣人であるべき隣人が、良き隣人ばかりではない」という事実に行きついてしまう。

 米軍人や関係者のほとんどは普通の人たちです。のみならず、沖縄にいるすべての外国人出身者は、日本国のルールを守って生きています。

なんなら、小さなトラブルや街にごみを捨てたりするのは某国からの観光客のほうが遥かに多いくらいです。わたしも日常的に外国人と接していますから、それは理解しています。

しかしながら、これまでに余りに多くの事件事故が発生している事実がある。そこに結論が行きついてしまう。

 たとえば素行に問題のある軍人・軍属は、なにか事件事故を起こす前に米軍が率先して本国に帰国させる。それだけでも違ってくるような気がします。

 つまり、良き隣人であろうとする姿勢を、フェンスの内側にもっともっと浸透させてほしいということです。

 ま、これは自衛官にも言えることですけれど。

 ギブアンドテイク。

 どちらに傾いても、良い関係性は保てません。

 振興予算と言いますが、それでは他の都道府県には国から予算が下りていないというのでしょうか。いいえ、下りています。しかも沖縄のそれと何ら遜色はないほどに。

 ただ、沖縄には「振興」という名目がついているだけです。他の都道府県には「振興」の名目がない。でも、同じように予算は下りているのです。

 ギブアンドテイク。

 どちらに傾きすぎても、良い関係性は保てません。

 事件事故と騒音被害と年間約70回のパラシュート降下訓練とセットで構わないから、振興予算をもらいたいと願う都道府県が存在するとは思えません。

 日の丸親方の世界で、どちらの理屈が「死に体」なのか。元大関の涙の訴えが、胸に染みました。沖縄の声は、あなたに届きますか。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。

オリオンビール販売開始から60年

 世界のみなさま、おはようございます。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 先週になりますが、去った5月17日は沖縄の三ツ星ことオリオンビールが販売開始されてから60周年の記念日でありました。

 年明け1月に沖縄(の一部)を騒がせた衝撃的な買収劇から約4か月、社内では買収した資本側からの人材が派遣され、新しい方向性に進みつつあるようですし、新しい役員人事も固まっていると専らのうわさです。

 その役員人事、ズバリ当てましょう!

 なんてことはわたしなどには不可能ですけれども。苦笑

 販売60周年を前にした5月14日には、満を持してというべきか迷いますがチューハイ商品を発表し、これがまた売れ行き好調のため増産を検討中となれば、案外先行きは明るいのかもしれません。

 オリオンビール買収劇に関しての県内消費者の反応は、当たり前のように静かです。大騒ぎしていたのはマスメディアと、株主のみなさまだけ。あるいは県内マスメディアも株を手放したおかげで決算に好影響があったようで、一時的にせよ、買収劇は好影響なのかもしれません。

そのチューハイ商品が好調なのは、「飲んでみたら美味しかったから」という返答がわたしの周囲限定で多くありました。実際に、(失礼かもしれませんが)他社製品と遜色ない美味しさです。

 チューハイはもともと人気のある商品分野ですし、ここ10年でハイボールも復権どころかアルコール業界を席巻しているところを見ると、海外雄飛を目指すより先に足場固めでビール類以外の製品を作っていくほうが良いのかもしれません。

 そう、他の国内メーカーがその道を選択してきたように。

 つまり、なぜこれまではその選択をしてこなかったか。可能であれば、歴代の経営陣に問うてみたいものです。

 オリオンビールが海外へ伸びる可能性は。

 どのポジションを目指すのか、ということにも依るでしょうが、わたしがまず勧めたいのは、後味をどうにか改良するということです。

 販売網の開拓は重要です。ブランディングも重要です。しかし、何より大切なのは「味」ですよね。飲料メーカーなのですから。

 オリオンビール創業の時代、県内の市場ではもしかしたら「オリオンだから飲む」という考えであったかもしれません。地場産業を育てたい思いは県民の願いでもありましたから。

時代が不況で幕を開けた平成に変われば「安いから飲む」という理由も増えたと思います。ドラフトビールは酒税軽減措置の影響で他のメーカー商品より安く提供され、またオリオンブランドのなかでも安価で第3のビールである「サザンスター」が根強い人気を保っていることに表れているでしょう。

 しかし日本全国がそうであるように、今の市場は「多量に飲む」ではなく「美味しいなら飲む」に変わっています。価値観は変化しているわけです。

 オリオンビールがこの先県内シェアを取り戻し、海外へ飛び出そうとするなら、求めるべきは「味」だと考えます。

 美味しくないと言っているのではありません。ただ、国内メーカーや海外メーカーと比較してどうなのか。勝負できる味だと言えるのか。「もっとも新鮮」だけでいいのか。

そういうことなのです。

 県外資本になってしまっても、地元で作るなら地元のビール。だから今までと変わらず愛してくださいな。などと、つまらないことを言わないでください。

地元のビールと呼ばれなくても売れるメーカーになってもらいたい。愛を無理強いしなくても愛される存在になってもらいたい。

 そう思うのは、わたしだけ? 笑

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。

組踊300年

 世界のみなさま、おはようございます。

 自分も6万円くらいポンと貸してあげられる人間になろうと決意した、沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 ほんと、心を和ませて頂いた良い話です。

 さて今年は、沖縄の伝統芸能「組踊(くみおどり)」が初めて演じられてから300年を迎えるそうです。

 みなさんは組踊について、ご存知でしょうか。

 琉球王国時代、中国(当時は清朝)からの冊封使(さっぽうし)をもてなすための芸能として創始された歌劇のひとつです。

 歌劇。琉球舞踊と琉球古典音楽を組み合わせて、そこに物語を組み合わせているという意味での歌劇、つまり琉球ミュージカルで、これを創始したのは、当時琉球王府の奉行(踊奉行であったと伝わる)であった玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん)です。

 その後、士族階級の娯楽のひとつとなり、さらには大衆演劇の舞台にまで広がっていったとされています。かなりかいつまんでの説明ですけれど。

詳しくは伝統組踊保存会(http://kumiodori.jp/)をご参照くださいませ。

 さてその組踊。ご覧になったことはあるでしょうか。

 沖縄では、これはわたしが個人的に好きではない県民性なのですが、地元沖縄の伝統芸能

や特産品を必要以上に卑下して見る習性というか特性があるため、またもしかしたら第2次大戦後の日本復帰を願うなかで地元の文化を軽視する風潮が流行ったせいかもしれませんが、この組踊にしても琉球舞踊や古典音楽にしても、大事にされなかった時代が確実にありました。

 たしか沖縄方言についても同様のことを書いた記憶がありますが、今になって「伝統芸能や古典音楽を大事にしよう」などと言い出す人たちを、これまで大事にして守ってきた人たちはどのように見るでしょうね。

 やっと報われる日が来たと。いうことでしょうか。

 まあまあ、皮肉っぽい目はつぶっておきまして、今日の本題はここからなのですが(ここからかよ!というご意見にも目をつぶっておきまして)、この組踊がイマイチわたしには響かないというお話をしたかったわけです。

 わたしはコミュニケーションを大事にする仕事をしていますから、「響くか否か」についてはとても敏感になってしまいます。沖縄に限らないと思いますが、伝統芸能や古典音楽の多くが、この「響くか否か」で淘汰されていく時代にあると考えているのです。つまり、次世代に。

 組踊に関して言えば、わたしは何度も観劇していますが、大変申し訳ないことに、長い瞬き(うたた寝です)をしなかった回は一度もありません。ほんとうに申し訳ないです。

まず言葉(沖縄方言のなかでも上方といえる首里言葉)が分からない。観光客の方ならいざ知らず、首里住まいわたしも日常会話を聞き取れるレベルで、いわゆる若年層になるとほとんど方言を知りませんから。

さらに音楽に乗せたセリフが、まあ歌なのですが、一音が長すぎて、どのような「音」を発しているのか分からない。「花の」を「は~~~~~~~な~~~~~~~の~~~~~~」などとやるわけです。しかも方言で。

つまり組踊を全く知らない人が観劇した場合、セリフの音も取れず言葉も分からないので、ストーリーが理解できない、ただ美しい衣装を着た男女が右に左に移動するだけという絵を見るわけです。

 手元に筋書きと方言および標準語約をつけたセリフなど、資料をそろえたうえで、ある程度筋書きを頭に入れておかないと満足に楽しめない芸能が組踊。だと、わたしは考えております。ほんとにまったく個人的な見解です。

 ですから組踊を今後も伝統芸能として保存していく、あるいは次世代に発展させたいと考えるなら(もちろん考えていると思いますが)、この「何の予備知識もない人が観劇しても、これ面白い!と思わせること」が、達成すべき目標となるでしょう。

 そうでなければ、組踊は継承者もなく廃れていくいずれ過去の文化となる気がします。

もちろん組踊だけではなく、沖縄の伝統芸能や古典音楽のすべてがそのターニングポイントにあるのです。

 なんの予備知識もなくそれを見たときに、面白い!と思わせるもの。かつての組踊も琉球舞踊も古典音楽も、そうであったはずです。ただ、時代は変わってしまった。ならば、時代に合わせたさらなる発展があってもいい。

 それを具現化しているのがスーパー歌舞伎であったりするのでしょう。

 伝統を揺らぐことなく受け継いでいくことは重要です。しかし、時代に合わせて発展するのもまた芸能であり音楽であり、文化であることは間違いありません。

 ぜひぜひご一考頂きたい。

 特に現代の重鎮の方々……ではなく、その取り巻きの方々に。

 以上、見ず知らずの他人に6万円くらいはポンと貸せるようになりたいが、恐喝に遭うのも怖いなあと思う、沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。