米軍ヘリが墜落した大学、という誤解

 世界のみなさま、おはようございます。

 タイムリーなのか何なのか、「硫黄島からの手紙」をたまたま観て、あー、これは日本人にはウケないよと感じた沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 アメリカ映画らしくステレオタイプな人間像で描き出す叙事詩ですけれども、旧大日本帝国時代のいわゆるステレオタイプな日本人像(外側から見たバージョン)というのは、現代の日本人が最も否定したい愚かな状況下、最上層の人間でさえ本当に自分の意志で動いているのか分からないほど、「皇国(帝国)日本の神聖なる何か」に言動を縛られている、人類史上もっとも愚かな人種のひとつですから。 

 それを正面から受け止める器量は、日本人全体としてはないでしょう。個人として受け容れられる人は数知れず存在するでしょうけれど、それも内心の話です。表立って受け入れを表明するのは難しい。

 2006年の公開当時に見ていれば良かったと、今さらながら。その当時のわたし、わたし史上もっとも仕事(当時の本業)にのめりこんでいた時期で、映画には興味がなかったことが悔やまれます。

 さてさて、今日8月13日は「宜野湾市の沖縄国際大学構内に米軍普天間基地所属のヘリコプターが墜落した日」でございますな。2004年8月13日の出来事です。

 詳細は他所に譲りますけれども、わたしもその日・その時は宜野湾市内に滞在していたこともあり、とても他人事には思えません。しかも墜落1時間前にはキャンパスのそばにいましたから。

 しかしこの沖縄大学で今年になって「ヘリ墜落事件のことを知っているか」という学生へのアンケートに対して「詳細を知っている」が15.9%で、自由記述に「事件を風化させたくない理由は何か」という記載があったとの新聞記事が掲載されました。

 いや、面白い。

 これはハッキリ言って虚を突かれたというヤツですね。

 世代が変われば、考えも変わる。まさか風化させてはいけない理由を問われるとは。これも長年の教育の成果でしょうね。

 沖縄国際大学。経営のことを考えたら「世界一危険と言われる米軍普天間基地と、わずかフェンス1枚を隔てたところに立地している大学です」なんて、口が裂けても言いたくないでしょう。

 でも、事実は変わらない。「世界一危険と言われる米軍普天間基地と、わずかフェンス1枚を隔てたところに立地している沖縄国際大学」という事実は変わらないのです。

 わたしが経営者ならばむしろ「世界一危険と言われる普天間基地のそばで、世界一平和について考えられる沖縄国際大学」をウリ文句に平和教育などを充実させて大いに学生募集して、ついでに偏差値向上も狙いますけど。

 どう考えてもそちらのほうが大学にも学生にもメリットがある。

 少なくとも広大な駐車場を確保して琉球大学に行けない学生を拾っていくより、偏差値を上げて内地から優秀な学生を募集して周辺のアパートや学生寮に住まわせて、平和について考えてもらうほうが何倍も将来性があるのではないですか。

 いや、学生の質がどうこうと言うつもりはありませんけれども。

 でも、風化させてはいけない理由は? はね、いくら長年の教育の成果でも何でも、思考停止が酷いような気がします。

 ただ経営的には、そちらへの舵取りが有効だろうと。

 しかしこのヘリ墜落事件。よく「大学に米軍のヘリが墜落した」という紹介のされ方をしていますけれども、それは誤解です。正確には「ヘリは基地に向かっていたがたどりつけず、住宅街に墜落していくところ、たまたま住宅街の中には夏休みの大学があって、幸運なことにそこに墜落した」じゃないですかね。

 あれだけの事故で誰も死ななかったことが幸運なのですが、それほどに普天間基地は住宅街の真ん中に存在しているということです。

 本当に、フェンス1枚だけ。

 この状態を見ても、「辺野古移設」とか言えますかね。

 まず「普天間撤去」じゃないですか。

 ヘリが墜落したのは大学であり、日本国、なのですよ。

 実は「硫黄島」の時代から、日本人の本質は変わっていないのかもしれませんね。

 辺野古だどうだというやり取りが、大本営発表を思わせるじゃないですか。

 国政与党が肥大化するのを目の当たりにして、不安というか恐怖というか、あるいは怒りに似た何かを感じているのはわたしだけではないでしょう。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。

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