3歳児の餓死に思うこと。

 世界のみなさま、おはようございます。68日ぶりに沖縄県内で新型コロナウイルス患者が発生したことを、まあ予測通りだよねという気持ちで眺めている沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 6月19日の渡航自粛解除から2週間。昨日のニュースでは、米軍関係者にも(おそらくアメリカ国内で感染しただろうと思われる)陽性反応者が出ていますし、鹿児島市に滞在中の石垣海上保安部職員も鹿児島市内のショーパブ(お店の名前が笑えます)で感染したことが報道されています。

 これからまた増えていくことが懸念されます。

 以前に書きました通り、うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか。という局面が見えてきましたね。経済と感染抑止。経済を止めれば感染が抑えられることは実証できましたから。ついでに大気汚染が劇的に収まることも実証されましたけど。笑

 どちらがカレーなのかは分かりませんが、日本国が選択を迫られ続けている究極の二択は、そろそろ2回目の局面を迎えそうです。

 さて、そんな社会状況のせいなのか、またも悲しいニュースが。

「3歳女児が餓死・シングルマザーの育児放棄で」という内容ですね。

 詳しくは他のメディアに譲りますが、この悲しみよ。

 育児放棄のニュースが流れるたびに「ならばなぜ生んだ」と、こころのなかで問いが生まれます。

 「望んで生んだのではない」という返答が帰ってきたら、、、どうしましょうかね。たとえば性犯罪に巻き込まれたら、こういう返答になるかもしれませんが、そのときは「出産する・しない」の判断や決断をするでしょうから……。

 ああ、思考が散らかります。

 子どもを産むには資格がある。最近はそう考えるようになりました。資格がない人は、セックスさえしないでほしい。恋愛さえしないでほしい。

 子どもは社会の宝です。

生命に軽重はないと言うけれど、子どもの生命は大人のそれより大事に扱われるべき。なぜなら子どもには身を守る力がないから。庇護を受けるべき存在だから。

 大事にされないまま、育った子どもが大きくなって、我が子につらく当たるのだとしたら、その悲しいスパイラルをどこかで止めないといけない。

 どうすれば良いのでしょうね。

 このようなニュースが流れるたび、悲しい悲しい気持ちになります。

 子どもが、誰からも守られる社会であってほしい。子どもが大切にされる社会であってほしい。切に願います。大人は子どもを大切にするべき。自分より弱い存在を大切にするのは、人として当たり前のことではないのですか。

 ああ。

 良くない見本がありますものね。これも政治のせいだと言いたくはありませんけど、自分たちの都合だけで権力を振りかざして好き勝手やっている人たちがね。

 ごめんなさい、若い世代の人たち。ごめんなさい、子どもたち。

こんな大人たちばかりで、ごめんなさい。

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