世界よ、地球のように丸くあれ。」カテゴリーアーカイブ

世界的な話題

ワイキキの朝(なつかしー)

ワイキキの朝

沖縄は「日本のハワイのようだ」と言われていた時代がありましたし、観光地としてハワイに追い付け追い越せと意識しているところもあるでしょう。

ま、ハワイはハワイ、沖縄は沖縄なんですけどね。ハワイにはなれないが、立派な観光地にはなれる。これからブランドだって成長させられる。そういう意味で。

わたし、他人には憧れない人間なんです。逆立ちしたって、わたしはその人にはなれないから。

ところでワイキキビーチ。

思ったより奥行きはなく、道路の近くからいきなりビーチで、わたしが宿泊していたあたりでは30mも行かずにすぐ海でした。が、しかし、海岸線は横に長く約3キロメートル、8つのエリアに分かれているそうです。

ハワイはハワイ、沖縄は沖縄。海の美しさは、負けていませんでしたよ。

ハワイでも喫煙者は大苦戦していました。

ALS嘱託殺人とドクターキリコ

 世界のみなさま、おはようございます。朝起きたら雨の降った気配。ああ、洗濯物がぁ……。あと1時間早く起きていれば……いえ、目は覚めたのですよ。身体を起き上がらせなかっただけ。俗に(沖縄で)言う「ふゆう」ですね。怠けてしまった。わたしは「ふゆーさー」、怠け者です。

 さて、今日の話題はALS嘱託殺人。

 ものすごく悲しくて、複雑で、日本に限らないと思いますが、難病を罹患された方に優しくない社会の闇について考えさせられる事件です。

 同じALS患者である国会議員が「難病患者の生きる権利を奪わないでほしい」と発言しておりました。この方以外の誰かの発言ならば「綺麗事を言うな」という反応をしたかもしれませんが、同じALS患者の発言です。重みがあります。

 社会的また法律的には「嘱託殺人」で裁かれるべきこの事件ですが、世間一般には同情する意見も少なくないでしょう。

 しかしこれは、安楽死に関する厳格なる法律が整備されない限り、今のところは「殺人事件」とされるべきなのです。なぜなら、「嘱託殺人に見せかけた殺人事件」が生まれてはいけないからです。判断に迷う事件が生まれてもいけません。

漫画「ブラックジャック」の登場人物であるドクターキリコは、実際にはそう簡単に存在してはいけない存在なのです。

 仮に、仮に、法律的に安楽死が認められたとして、それを利用して死を希望するひとが現れたとして、それが「周囲の意志を忖度した自殺志願」ではないと、どのようにすれば証明できるでしょうか。

 たとえば何らかの理由で身体が動かなくなってしまい、24時間体制の介護が必要となった自分がいて、経済的にも物理的にも家族に負担をかけるようになってしまった自分がいて、「家族に迷惑をかけて生きるくらいなら、安楽死したい」と安楽死の申請を出す人のうち、何割くらいが「本当は身体が動かなくても生きていたいけど」という気持ちを「全く持っていない」のか。という話です。

 そして、経済的にも物理的にも負担になってしまった人に対して、周囲の人間が「できれば死んでほしい」と思うか思わないか。そういう話です。

 経済的にあるいは物理的に誰にも迷惑をかけないなら、生きていたかった。と、今回の事件で亡くなられた方が全く考えていなかったのか。それは誰にも分からない話です。

 大金を払ってまで、自分の生命を終わらせてほしいと願う病人がおり、それに応える人がいた。法律としては、その行為を裁く。

 このようなことが起きてはならないと、、、わたしには断言できません。

 病のために経済的な負担をしたことがありますか? 誰かに負担をかけたことがありますか? 身体が動かなくなった自分を想像できますか? そのとき自分が死のうとは考えない、と断言することができないの同じように、今回の事件と同じことが起きてはならないと断言することができません。

 願わくば、たとえば難病やケガなどで動けなくなった人が、死んでしまいたいとなるべく考えずにすむ世界であってほしいと。

 技術が進歩すれば、いつかそういう時代がやってくるのかもしれない。

 それでも死んでしまいたいと考える人はゼロにはならないかもしれない。

 ただ。

 死んでしまいたいと考える理由が、周囲のどんな状況にも関係なく、ただ自分のなかだけの理由であってほしいと。

 そう願うわたしがいます。

 一方で。

 安楽死を認める法律は必要なのではないかと考える自分もいます。

 どのようなシチュエーションかは分からないが、生きる権利と死ぬ権利は、同義であると考えるのはわたしだけではないでしょう。

 強盗GOTOキャンペーンに代表される最近の拙速な法案・法律のように決められては困りますので、最高の官僚チームによって最大限の配慮がなされた法律の整備を進めて頂きたいと考えます。

 このような細やかな配慮が必要な法律は、政治家ではなく官僚の得意分野です。ぜひ、そのような法律が整備されてほしいと願っています。

 人にやさしい社会。何がやさしさなのか、答えはひとつではないとしても。

 喜良原でした。

 ではまた次回。

政治家か、官僚か。

 世界のみなさま、おはようございます。日曜日から好天に戻った沖縄から、喜良原(きらはら)です。豪雨災害について、衷心よりお見舞い申し上げます。

 そんな最中に、とうとう今日からGOTOトラベルキャンペーンが始まることになりました。もう始まっているのですね。

 東京発着の便を除くとありますが、都民の皆様は電車で近隣県の空港辺りに移動すれば適用除外を免れるのでしょうか。身分証明が必要となれば、それは不可能になりますか。

 GOTOトラベルキャンペーンの実施について、意見は人それぞれだと思います。賛成の人、反対の人、条件付きの人、いろいろあるでしょう。

 そんな人たちでもひとつだけ共通の認識があると思います。

 「このブレブレ感は、なぜ?」

 ということです。

 東京だけではなく、大都市圏だけではなく、そろそろコロナ禍の第2波と呼べそうな状況になってきた。でも、最初の緊急事態宣言で経済は体力低下している。国内随一の財力を誇っていた東京でもこれ以上の補償は苦しい。もう全国で経済を止めるのは不可能だ。

 というのが日本全国の状況だと思います。

 沖縄県でも、たとえば観光客の皆さんが必ず一度は訪ねるであろう国際通りでも次々と店舗が閉店しています。休業ではなく、閉店です。旅行会社ではなく、まず末端の個店から閉店しているという事実。観光客をメインとする飲食店やお土産品店、プレイスポットなどから軒並み閉店していますが、それらの店舗に食材や商材を納入している業者にも閉店の波は及んでいます。

 それでも、Eatや商店街ではなく、真っ先にトラベルが始まった理由は?

 まず地域の飲食店や商店街を助けるのではなく、真っ先にトラベルから着手された理由はなんでしょう?

 ま、どう考えても旅行業界からカネが流れていますよね。

 と考えていたら、まさにその通りだという報道が発表されました。献金という形ですが、それなら裏ではどのくらいのカネが流れているのでしょうかと思いを馳せてしまいますネ。

トラベルで救われるのは大きな企業体。体力の弱いところは、血流が良くなって血が流れてくるまで保たないものと思われます。

 このような状況下なのに、恥も臆面もなくブレブレ感を露呈しながらもGOTOトラベルを見切り発車させたのは誰なのでしょうか。

 政治家か、官僚か。

 今日のタイトルは、そういうことなのでした。

 旅行業界からカネを受け取ってしまったがゆえに、GOTOトラベルキャンペーンを見切り発車せざるを得なかった。しかも、キャンセル料の補償までやるはめになった。

 コロナ禍の現状を無視して、国民の感情を無視して、旅行業界の上層だけが救われる施策を見切り発車する。これってどうなのでしょうね。

 喜良原でした。

 ではまた次回。

3歳児の餓死に思うこと。

 世界のみなさま、おはようございます。68日ぶりに沖縄県内で新型コロナウイルス患者が発生したことを、まあ予測通りだよねという気持ちで眺めている沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 6月19日の渡航自粛解除から2週間。昨日のニュースでは、米軍関係者にも(おそらくアメリカ国内で感染しただろうと思われる)陽性反応者が出ていますし、鹿児島市に滞在中の石垣海上保安部職員も鹿児島市内のショーパブ(お店の名前が笑えます)で感染したことが報道されています。

 これからまた増えていくことが懸念されます。

 以前に書きました通り、うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか。という局面が見えてきましたね。経済と感染抑止。経済を止めれば感染が抑えられることは実証できましたから。ついでに大気汚染が劇的に収まることも実証されましたけど。笑

 どちらがカレーなのかは分かりませんが、日本国が選択を迫られ続けている究極の二択は、そろそろ2回目の局面を迎えそうです。

 さて、そんな社会状況のせいなのか、またも悲しいニュースが。

「3歳女児が餓死・シングルマザーの育児放棄で」という内容ですね。

 詳しくは他のメディアに譲りますが、この悲しみよ。

 育児放棄のニュースが流れるたびに「ならばなぜ生んだ」と、こころのなかで問いが生まれます。

 「望んで生んだのではない」という返答が帰ってきたら、、、どうしましょうかね。たとえば性犯罪に巻き込まれたら、こういう返答になるかもしれませんが、そのときは「出産する・しない」の判断や決断をするでしょうから……。

 ああ、思考が散らかります。

 子どもを産むには資格がある。最近はそう考えるようになりました。資格がない人は、セックスさえしないでほしい。恋愛さえしないでほしい。

 子どもは社会の宝です。

生命に軽重はないと言うけれど、子どもの生命は大人のそれより大事に扱われるべき。なぜなら子どもには身を守る力がないから。庇護を受けるべき存在だから。

 大事にされないまま、育った子どもが大きくなって、我が子につらく当たるのだとしたら、その悲しいスパイラルをどこかで止めないといけない。

 どうすれば良いのでしょうね。

 このようなニュースが流れるたび、悲しい悲しい気持ちになります。

 子どもが、誰からも守られる社会であってほしい。子どもが大切にされる社会であってほしい。切に願います。大人は子どもを大切にするべき。自分より弱い存在を大切にするのは、人として当たり前のことではないのですか。

 ああ。

 良くない見本がありますものね。これも政治のせいだと言いたくはありませんけど、自分たちの都合だけで権力を振りかざして好き勝手やっている人たちがね。

 ごめんなさい、若い世代の人たち。ごめんなさい、子どもたち。

こんな大人たちばかりで、ごめんなさい。

戦後75年目の慰霊の日

 世界のみなさま、おはようございます。

 異例な慰霊の日。沖縄らぶびたんDaysの喜良原です。

 なにが異例なのかと申しますと、沖縄では「慰霊の日」はいわゆる「晴れの特異日」となっていて、日本で一番強い陽射し(緯度的に)が燦燦と降り注ぎ、そのなかで「沖縄全戦没者追悼式典」が開かれるのが毎年の光景です。

 時期的にも「慰霊の日」前後が梅雨明けとなっていて、ここから3週間くらいの期間が、みなさまが思い浮かべる「沖縄らしい」美しさのピークと言えます。空気が澄んでいて、太陽が殴りつけるように照らしつけて、海はどこまでも碧く、空は果て無く蒼い沖縄です。

 それが本日は、朝から激しい土砂降り。いまも雨こそあがったものの、雲が厚く空を覆っています。忘れていたのですが、記事を見直すと昨年の今日も雨だったと書いていますので、もしかしたら天候そのものが変わり始めているのかもしれません。

仮に、「毎年、この時期にはこんな天気、こんな風物詩」という流れがいつの間にか変わっていくものだとして、終戦直後から平和の尊さを身を以て学び、常に追い求めてきたはずの日本という国も、いつの間にか武装を考えるようになり、昨今にはイージスアショアを見送る代替案として「(発射前)敵基地を攻撃する能力を開発する」などという恐ろしい「殴られる直前に殴りつけろ」的な発想もあると報道されているのを見ると、戦後75年なのか(第3次大戦の)戦争前夜なのか分からなくなってきます。

民族というものがあり、国境というものがあるから争いが生まれる。と言われて久しいですね。まさしく人間の歴史は有史以来、争いの繰り返しですから。

わたしとて、別に殴られる前に殴ろうとは思いませんが、殴られたら殴り返すでしょうから、あまり偉そうなことは言えません。悲しいかな、敵意を向けられたら敵意で反応してしまうのが生存本能なのかもしれません。

右の頬を打たれたら、その流れで右フックを相手の左頬に打ち込みなさいと。あるいは右の頬にパンチが飛んで来たら、ダッキングから身体を振って左ボディだよと。そういう反応をしてしまう悲しさがあります。

 人間らしさ。

 人間には言葉があります。相手のことを理解できる知性もあります。ただ、それもやはり教育次第だという大きな側面があります。

 戦争を避けるため、お互いに話し合い、理解し合い、譲り合う。人間にはそれができるはずです。と、信じたい今日この頃。

 その一方で、可能な限り争いごとは避けたいが、もし火の粉が降ってくるなら、振り払うのは当然だと考える自分もいる。

 揺れながら、揺れながら、国民世論がゆっくりと戦争容認に傾いていくことだけは、絶対に避けたい……のではありませんか?

 戦場ではどの時代にあっても、まず遠距離からの攻撃で相手に打撃を与え、次の接近戦で勝敗を決するというセオリーに変わりはありません。

 昔は弓矢や投石器が遠距離からの武器で、銃が生まれれば銃が、砲が開発されれば砲が、海上では艦砲、飛行機が開発されれば空爆が、そして現代では核ミサイルを始めとする超長距離から短距離ミサイルまで揃っています。

まずわたしたちのような一般人は開戦が宣言された5分後にはミサイル着弾で死んでいることでしょう。沖縄のように基地のある場所、そして首都圏や人口の多い地域は、特に狙われることでしょう。

 おそらく戦争の相手となる国も同様に、開戦数分で、夥しい数の国民が死んでしまうことでしょう。

 それでも戦争が良いのでしょうか。と、誰しも理屈は分かっているのですよね。

 平和を願う人にできること。平和を願っていると叫ぶ。平和でありましょうと叫ぶ。お互いに理解し合いましょうと叫ぶ。叫ぶことしかできなくても、声を挙げましょう。

 そして来年には戦後76年目をみんなで迎えましょう。

 そして再来年には戦後77年目をみんなで迎えましょう。

 そして2045年には戦後100年目をみんなで迎えましょう。

 喜良原でした。

 ではまた次回。