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屈辱の日。とやら( ゚Д゚)

 世界のみなさま、おはようございます。えっとー、今ごろは……マディラ諸島あたりがおはようございますでしょうか。

 久しぶりに気温が上がって、太陽がまぶしい沖縄から、喜良原(きらはら)です。

 今日4月28日は、1952年のサンフランシスコ条約調印により、日本国が民主国家として主権を回復し、再出発のスタートとなった日。そして沖縄では、日本から切り離されてアメリカの統治下に置かれた日。です。

 時の政権(あ、いまも続いています)がこの日を「主権回復の日」と名付けたことから、沖縄県内の有識者が「沖縄にとっては国家から切り離された屈辱の日だ」と反発したことは、まだ記憶に新しいですね。

 わたし喜良原は、ごく一般的な沖縄県民として思います。

 「屈辱? ぜーんぜん」

 と思います。大事なことなので、もう1回。

 「屈辱の日? あほくさ」

 戦争に負けたのは国であって、県ではない。敗戦の代償として沖縄県(と奄美群島)が割譲されて、1945年から始まった27年間の(奄美は1953年までに返還)米軍統治下で悲惨極まりない事件事故が多発したことは事実。そして、それらの賠償がなされていないことも事実。まるで非人間的な扱いがあったのも事実。

 でも、それでも「屈辱の日」とは思いません。敢えて同じ土俵で適切と思われる表現を探すなら「独歩の日」ですかね。

 終戦直後から沖縄は日本と切り離されて占領統治されていました。1952年4月28日は、それが国際的に明示された日。日本国のほかの地域とは違う歴史を歩き始めていた沖縄が、日本じゃないよ、ごめんね。と宣告された日。

 戦後の苦難の道を歩かれてきた先達には敬意を表したい。先達が苦難の道を歩いてこられて、現在の沖縄がある。その歩かれてきた努力に敬意を払ったうえで、「屈辱の日? あほくさ」と言います。

 おそらくは、沖縄を切り離さざるを得なかった日本国政府、あるいは悲惨な事件事故を繰り返してきた米軍、それらへの対応も不十分だった米国政府に対する怒りや嘆きやほかの感情が綯い交ぜになって「屈辱の日」と現代の有識者は使うのでしょう。

 ですが、どのような状況下であっても沖縄県民は膝を屈したわけではない。立ち続けて、歩き続けてきたではありませんか。

 んまー、こんなに向かい風ばかり吹き続ける島も珍しいとは思いますが、それでも立ち続けて歩き続けているではありませんか。

 それが屈辱ですか。

言葉の意味、知っていますか。

 現状の不自然さ、不平等さ、不公平さ、理不尽さを指摘し、それらが正されることを求め続ける。それが沖縄県民の歩いている道ではありませんか。

 わたしは心からそう思っています。

 「屈辱の日? とんでもない。沖縄は沖縄。これからも立ち続けて、歩き続ける」

 自らを辱めているのは、一部の悲観主義者じゃないでしょうか。

 敢えて言いますが、沖縄県になる前はひとつの国だった沖縄。祖国復帰という言葉にも若干の抵抗は感じるのですよ。祖国ねえ……。

 ただ、現在、日本国沖縄県であることには不満があるわけではない。

 ただ、現在の日本国政府の沖縄県に対する扱いには不満がありますよと。

 このジレンマ、伝わるでしょうか。

 「屈辱の日? あほくさ」なんですけど、永く沖縄を取り巻いている理不尽さには憤りを禁じ得ない心情を、ご理解くださいというのはワガママなのでしょうか。

 思考がぐるぐると回り続ける喜良原でした。

 ではまた次回。