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平成の終わりに思うこと。

 世界のみなさま、こんにちは。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原(きらはら)です。

 日本全国10連休というスーパーゴールデンウィークのなか、沖縄はあいにくの雨模様というか、降ったり晴れたりというか、観光客のみなさまにはせっかくのご旅行なのに、ちょっと申し訳ない天気です。

 あと、申し訳ないと言えばやはり渋滞ですかね。

 沖縄本島北部への移動で(沖縄自動車道の宜野座以北は、終点の名護ICで大渋滞だろうと予想して国道58号線を選んだら、そこも恩納村から大渋滞。30分の余裕をもって出発したら、15分の遅刻でした。

 45分も読み違えたわたしもまだまだ甘いのでしょうが、こんなに渋滞ばかりでは旅行のみなさまは移動疲れしてしまうだろうなと感じました。

 宮古島の友人の話では、あちらでも最近はレンタカー旅行が急増していて、渋滞こそ少ないものの、違法駐車や交通事故が増えているそうです。石垣島も同様の傾向だそうですね。眺めの良い場所などでの交通トラブルも増えているとか。

 おかげさまで、この10数年で沖縄県内の観光地はほぼ掘りつくされて、ニッチもクィディッチもスニッチもないような状態ですが、ここにきて「思った以上の来客があっていろいろなトラブル発生=オーバーツーリズム」の状況が生まれてきました。

 つまり、トイレや駐車場の問題だけではなく、交通渋滞やホテルの建設地なども含めて地元住民の生活圏まで観光地化されてきたことで、軋轢や問題が発生しているということです。

 平成が始まった1989年頃。

 沖縄はまだ「本土を見上げている孤児」みたいな状況でした。前年の観光入域者数は約236万人(沖縄県公式)で、ほとんどはバスによる戦跡めぐり、史跡めぐり、あとはビーチと買い物でした。

 それが「琉球の風」が吹いたあたりから風向きが変わり始め、いまや観光客数は999万9千人。あなおそろしや、平成の30年間で4倍になっているわけです。

 ホテルは地元資本から一気に県外(あるいは海外)資本が流入してきて、個人経営のホテルは閉鎖されるかほそぼそと生き残るのみ。わずかに残る地元大手も、経営の規模から言えば(オリオンビールのように)いつ買収されるか分かりません。

 観光にいらっしゃる方々も変わりました。

 バスツアーで戦跡めぐりするのはご高齢の方が多くなり、メインはレンタカーを使ってのフリープラン。自分でプランを作って、沖縄中を移動しまくるトラベラーが本当に増えました。

 さらには外国人観光客も増えました。この30年間でおそよ10倍の、年間約300万人が訪れるようになりました。ちなみに10数年前からは中国、台湾、韓国など東アジア系の観光客が急増して、外国人観光客数を一気に底上げしています。

 沖縄県は、県の施策として「観光立県」を目指し、確実に実績をあげてきました。

 ひと昔前はテレビが、そして21世紀からはインターネットが情報の平準化に役立ってきましたが、美しい沖縄が全世界に情報発信されるにいたって、今では「沖縄生まれ? うらやましい」と言われることも少なくありません。

 この状況を、30年前に誰が信じられたでしょうね?

 世代的にいわゆる内地の人に対して引け目を感じている人たち(おもに1950年代以前)は、経済的に主流のポジションにありますが、70年代以降に生まれた世代にとっては「生まれた場所が違うだけ」。時代は変わるのだなあと実感しています。

 しかし、変わらないものもあります。

 はい、基地負担とか、そのあたりのことですよね。

 みなさま、一度で良いのでホリデイではない普天間基地や嘉手納基地の周辺で、1日を過ごしてみてください。事件事故の件数と概要だけでも、知ってください。

それからもう一度、これが同じ日本国内なのかどうか、みなさまのお住いの地域と比べられてください。

 わたしもこの件で、何度も申し述べるのは苦痛です。沖縄戦の戦争体験者のみなさまも、ご自分の体験(戦争の悲惨さ)を語るのは苦痛なのです。しかし、それでも語る。戦争の悲惨さを知ってもらうことで、少しでも戦争を遠ざけることができるならばと念じて。

 平成が終わりゆきます。

 沖縄は、観光地でもあり、かつての戦地でもあります。沖縄だけが特別ではない。世界各地に同じような歴史をもつ地域はあるでしょう。たとえばハワイなどは気候風土や戦争経験だけではなく、かつては小さな王国であったということも含めて、ほんとうに似ていると思います。その発展の歴史も含めて。

 この平成の30年を思うとき、個人的な喜び悲しみも振り返ることは多くありますが、何よりもまず変わり続け、また変わらずにいるこの沖縄の島々を思わずにはいられません。

 かつての沖縄県知事が「沖縄の心とはなにか?」と問われ、「ヤマトゥンチュ(本土の人)になりたくてなりきれない心」と表しました。

 しかしこの世代わりの時節にいたっては、いまさらヤマトゥもウチナーもありません。無いと信じたい。かつて小さな王国であったことを過度に誇る気持ちはなく、かつて戦場であった悲惨な記憶に潰されることなく、ただ一個の人間として、ここに居る。

 世界が平和であることを、ひたすら祈ります。

 ひとつの時代の終わりに、心から。

 沖縄らぶびたんDays、喜良原でした。

 ではまた次回。